昨年の初秋、3年振りにピピへ渡った。
家族で初めての海外旅行だった。
主人は、旅行費は私が負担することで毛嫌いしていたタイ旅行を許してくれた。
主人とは出発してからも何度も何度も喧嘩をしてしまった。
1歳4ヶ月の娘を連れての海外、しかも、津波が起きて半年後だったので、主人を
説得するのはどれほど、根気のいったことでしょう。
一緒にタイへ行くのには、6年かかってしまいました。
あ~、長かったな~。
私がどうしても、タイのピピ島を訪れたかった理由はやはり、津波で行方のわからなくなった友人らの安否。
今から4年前、ピピ島に1ヶ月半滞在していたこともあり、たくさんお世話になった人達がいたため、どうしても
自分の目で確かめたかったからです。
タイ人の友人が初めて出来たのも、この時が初めてでした。
懐かしいです。
あの頃、ピピへ上陸した次の日、たまたま入った食堂にその人はいました。
見た目は、山口智光そっくりの青年で気配りが出来る日本人みたいな人でした。
日本に興味があるそうで、色々、日本の話を興味深く聞いてこられました。
一緒に旅をしていた妹と私は、あまり外国の方とは親しくしないほうでしたので、
慎重に、そして警戒しておりましたが、彼の優しさはすぐに伝わってきました。
後で聞いたところ、彼はバンコクの近くに実家があるらしいのですが、実のお兄さんが、
この人が働く食堂のオーナーで彼が店をまかされているのだそうです。
店の名は、「UP TO YOU !」と書いてありました。
場所は、ピピのトンサイエリアの市場みたいなところにありました。
観光客はあんまり行かないところでした。
目をつぶると、まだあの頃の想い出が鮮明に浮かんできます。
胸も、目頭も熱くなってきます。
大切な友人の彼には、「必ず戻るからね、絶対、待っててね、今度は家族で来るからね」と、
別れのときに約束しました。
ですが、日本に帰ってから、今の主人からすでに渡タイ禁止令が出てしまい、タイへは行けなくなって
しまいました。
3年、我慢を通し、昨年、これ以上我慢できず何度も喧嘩を繰り返したのち、主人を説得。
タイのピピ島へ渡る事が出来ました。
嬉しかったです、何だかんだで、ピピへまた行けるのです。
自分の中では、私の帰る場所だと思い込んでおりますのでね、、、。
すみません、ちょっと長くなったので、続きは後ほど書かせてください。