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飛ぶ教室
著:エーリッヒ・ケストナ―
訳:丘沢静也
出版:光文社
ページ:234ページ
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今回は『飛ぶ教室』を紹介します。
ドイツの児童文学者エーリッヒ・ケストナ―の作品です。
小学生、中学生に本をオススメする機会がありましてサイトを探していたところ、なぜかとても気になり読んでみました。
ドイツ語でのタイトルは『Das fliegende Klassenzimmer』。1933年の作品だそうです。
主人公って誰なんだろう
海外の小説に読み慣れていないため、「小説のスタイルは十人十色だな」と思いました。
※ややネタバレになりますので、気になる人は飛ばしてください。
この本の始まりは「私は今から小説を書く」という感じで作者・ケストナ―が登場します。
そしてケストナ―が書く小説のタイトルが『飛ぶ教室』なんです。
『飛ぶ教室』が完結し、最後にケストナ―視点に戻るのですが、そこで作中の登場人物の一人とばったり出会う描写があります。
私は「え? なに?」って感じだったんですけど、「こういう小説のスタイルなんだな」と“理解”しました。
ケストナ―が作中で書く『飛ぶ教室』は、5人の少年たちの友情を描いています。
その5人も個性的であり、誰か一人をメインとして書いてる感じではないので、読み終えた後、「主人公って誰なんだろう?」という疑問が残りました。
5人の少年たちの誰かが主人公かもしれないし、作品に登場する作者・ケストナ―自身が主人公なのかもしれません。
この疑問を同僚に投げたところ、「別に主人公が絶対いないといけないっていう理由はないからね~」と返されました。
まさにその通りだなと。「主人公が誰なのか」というのは愚門であったなと。
もしかしたら、ケストナ―が思い描いた主人公は、私を含めた読者たちなのかもしれません。
作中でケストナ―も、『飛ぶ教室』を書いた執筆者でありながら、『飛ぶ教室』を読む読者でもあったんですからね。
日常に接近する“児童”文学
児童文学とは子どもを対象にした文学作品のこと。
ぱっと思い浮かぶのは『桃太郎』のようなフィクションの物語です。
この作品の舞台は学校、登場人物は学生、先生、親……と、生活に身近な人たちばかり。
ごく当たり前の日常の中で起こるいざこざや葛藤、喜びや感動をそのまま描いたかのような“純”な作品でした。
ケストナ―は児童文学者と紹介されがちですが、私はこの作品を“児童文学”という枠に収めてしまうのはもったいない気がします。
もちろん子どもたちが読みやすい文にはなっているのですが、一応大人である私も様々な感情と感動を抱きました。世の“児童文学”と呼ばれる作品たちももう一度読んでみたいですね。
翻訳する人ってすごいな
訳者である丘沢静也さんはあとがきでこのようなことを述べています。
「日本の児童書には、『わかりやすさ』に配慮した独特の習慣がある。……『わかりやすさ』への配慮は、過剰なビブラートに似ている。ビブラートは、即物的なケストナ―には似合わない。今回の『飛ぶ教室』の翻訳では、よけいなビブラートをはずしてみた。すると、ピリオド楽器での演奏のように、スピード感がもどり、細部の声が聞きとりやすくなる。」
たしかにスピード感がすごかったです。感情の揺れや登場人物たちの衝突に自分が引き込まれ、まさにその人物の隣に自分が立っているかのように思えました。
他の訳者の『飛ぶ教室』は、また違う形になっていて、また違う感想を持つことだろう。
海外文学はやはり原文を読むに限る。(読めたらの話だが)
作者と訳者の気持ちが乗った作品と自分が出会ったんだなと、しみじみ。
それにしても訳者という仕事。
他の人の作品に自分の色を足す。その形を崩さないまま。
なかなか責任のある仕事だなと思いました。
もし機会があれば他の『飛ぶ教室』も読んでみたいです。
それにしても『飛ぶ教室』ってどういう意味なんだろう。それもケストナ―の前では愚問なのかもしれませんね。