2009年7月16日 神戸市内の病院で父は85歳で亡くなった。

 

私が今暮らしているのは、つれあいの実家(もう儀父母もすでに亡くなり、つれあいの姉兄は関東で暮らしていて、事実上、つれあいが「跡継ぎ」になってる)で暮らしているから、そこにある仏壇はつれあいの「家」のものだけど、今の私にとっては「宗教」的にもフリーな立場になってて、「仏壇」も、そこが出入口みたいなもので、つれあいの「家」だけのものじゃなく、「仏壇」があの世へつながっている小さな塚みたいな・・・・

 だから、今朝、仏壇にお参りして、父に挨拶した。 しかし・・・まあ、もうあの世では、みんなでワイワイやってるんだろうなぁと 68になってしまった私には、親が亡くなったことについての悲しみみたいなものはない。 心残りがあるとすれば、もし親が年老いても健在であれば、いろんな「昔ばなし」があれこれとできたんだろうなぁということだけかな。。。。

 

 やっぱり、私の兄弟3人は4歳ずつ離れているので、なにかにつけ私は「両親+兄2人」の「輪」みたいなものから外されてきたように思う。 子どもの頃から、同性の「男友達」で、姉や妹がいる友人がうらやましかった。。

 高校生の時、お互い変わり者同士の友人がいて、彼が妹と夜ふすま隔てた隣の部屋にいる妹とあれこれ話をしてると聞いて、「いいなぁ~」と思った。 なんなんだろう。。。。 私は生まれたときに、母親から「また男か・・・」と言われたけど、子どもの頃から、けっこう女子の友だちといっしょにいることはあったように思う。

 

 「男同士」の遊びといえば、草野球くらいしか思い出せない。他の路地裏で遊ぶようなものは別に男女関係なかったように思う。女子とままごとをした記憶もちゃんとあるし、家に女子3人といっしょにおしゃべりしたことも覚えている。それは中学生になってからもいろんな場面があった。 なんなんだろう。。。

 むしろ、「男同士」というか「男の世界」の記憶で、一番いやな記憶は、小学生の頃、Wという同級生がいて、家は冠婚葬祭の花屋みたいな家業をやってて、そいつがいつもボスのようにいばっていて、あるとき、そいつが「たたき合いしよう」と言って、「お前も俺の頬を叩いていいから。その後俺がお前の頬を叩く・・・」みたいなことを一方的に言い、私は断る間もなく、でも結局私がそいつの頬を本気で叩けるわけもなく、適当にパチンと叩いたら、そいつは私に対しては本気で叩いて返した。。。。

  これって、ていのいい「いじめ」だと今なら思える。 対等のようで決してそうではなく、根底にある「力関係」で成り立つ「支配関係」そのものだと思う。 そんな関係を無理やり造って・・・というのは、実は昔から今でも同じように、さらに巧妙に世の中にあるのだと思う。

 

 そういう意味でも、あの子どもの頃のことは   悔しかった。。。。

 

老後の生活の場として両親は神戸市(北区)を選んだけれど、どうなんだろう・・・新興住宅地で住人はあちこちから移り住出来た人だらけだろうけど、互いに互いのことなど全くわからないまま地域が造られていく。。。。

母から(また)あれこれ聞かされたことがあったけど、もうそれには触れたくない。。。。

 

父が亡くなり、その後4年ほどたったころに、すでに一人暮らしをしていた母が認知症になった。路上での転倒骨折による一時入院が大きなきっかけだったと思うけれど、そんな状況で母は長男の即断で、長男が暮らしている関東の某県の老人施設に一気に入所することになった。。。

 車の駐車場こそなかったけれど、神戸の家は短期間で主を失い、その後また長男夫妻が中心になって・・・売却され、その後他人の手に渡り、・・・忘れた。。

 

 その主を失った家の様子を見に、一度私はつれあいといっしょに行ったが、それも簡単ではなかった。。。

去年亡くなった長男が、その後の「遺産管理」をあれこれ画策していたらしい。。。。 カギは地元の不動産屋に預けていても、一番身近な「親族」である私でも、勝手に入ることはできなかった。。。。

 その頃からかな・・・「家族」って難しいと思い出したのは・・・

 

だから、正直、私は、神戸の家に入って、いろんなところを写真に撮って 親の生活の気配を残そうと思ったけど、唯一、父の蔵書の1冊だけを持って帰っただけで、他は一切手を付けなかった。。。。母が晩年、革細工を器用にあれこれ創ったものがたくさんあったが、それもそのまま・・・・いろんな思い出の品や高価な花瓶とか家具類があったけど、あれ、みんな専門業者が見積もって処分されたんだと思う。。。。

 

父が逝き、母も逝くと 完全にその後「財産問題」が発生する。。。。

そう 男兄弟3人が残される(それぞれに配偶者等の家族がいる)。。。。

父が先に逝った後も、その一部の「作業」があったので、もう私は兄から連絡があった時にはっきりと言った。

  「もう、俺は(兄弟の話し合い)行かない。 二人に任せるから、俺のことはどうなっても文句は言わないから。。」

と。。。。 長男と次男の間ではいろいろあったみたい。。。。。 でも私はそのことを知りたくもない。。。。。今でも。。。

 

  兄弟は他人のはじまり   という言葉 私はいつころ知ったのだろうか  たしかまだ未成年の頃だと思う。

 

でも、その言葉を知ったことの意味と同じく  私は心底そう思ったのだと思う。。。。。

 

世の中の他の人たちのことは知らない。 いや、少なくとも 私の連れ合いの兄弟姉妹(姉と兄=私の義姉と義兄)に関しては、当たり前なのかもしれないけど、 「これが家とか家族っていうものなんだろうなぁ・・・」と思っている。

 

本当に今思うのは   正直、私にはもう 家族とか 家とか 兄弟とか なんの未練もない。。。。

「血のつながり」っていうけど  よくわからない

 

いつ頃からかな・・ 私が死んでも墓なんかに入りたいとも思わない。 それは、宗教とか儀式とかどうでもいい

残った人が好きにしてくれていい  土の中に眠るなんて 想像したくもない

 

願わくば もしかなうならば  私は 宙へ 宇宙に 還りたい。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。