7月13日は、亡き父の誕生日だった。大正13年生まれ。
私の時代は、たしか 高校入学時あたりからか、なぜだか戸籍謄本の写しを提出する習慣があったようだけど、なぜなんだろう。。。。今はもちろんそんなもんないよね。今は住民票だったと思うけど、なんか ほんとうにそんなの必要なんだろうか。
何に使うのか
私の頃は、戸籍謄本って、役所にもらいに行くのは同じでも、たしか 「青写真」だった。今の人はもうそんなものしらないと思うけど、今は当たり前に家庭にもあるような コピー機なんてなかったから、「青写真」 たしかに内容は見えても、そのうちあせて見えなくなるようなものだった。。。。 青くなくなってもなんだか、当時の「複写」の質はかなり悪かったと記憶している。
そんな時代だから、それを見て初めて「親の出生」に関する記録がそのまんま見れたりするのは興味深かった。。。
「本籍地」なんて、特に私にはなんの意味もなくなっているようなものだけど、父のことについては、「親父はここで生まれたんだな・・・」と確認できた。 それは滋賀県だけど、実は父はその 自分の生まれた「家」(住所地)から、10歳ころか、別の「家」に「養子」に出されている。 実名はもちろん書けないけど、なぜかアルファベットになおしても同じ「Y」だ。
当時ならあたりまえの「習慣」、『貧乏人の子だくさん』なんて、今の時代存在すらできない日本だけど。。。
有名な映画「楢山節考」を観た人には記憶があると思うけれど、 テーマである「姥捨て」の背景として、貧しい農村地帯での生活が描かれていて、その一部に、 田んぼの隅っこだかに なんと無造作に 生まれたばかりの?赤ん坊が捨てられて 泥まみれになっていた?シーンがあって・・・・・
「ぶちゃり子」という言葉が今でも当地にはあるけれど、その方言を直訳すれば「捨て子」のこと。「捨てる」とはゴミとかいらなくなったものを処分するという意味だけでなく、 「家」(親族関係)から、他の家に 「出す」 「生まれた家の者」でななくなる という意味かな。 「養子」なんてまだまだ丁寧語みたいなもの。。。。 どっちにしても、その子ども本人の意志ではないのだから。。。。
父は「四男」だけど、おそらく、他に「娘」もいたろうし、下にも・・・・ だから、生まれた時から よその家に出すことになっていたんだと思う。
ということは、たいてい 「生まれた家」よりは「養子先の家」のほうが 多少でも「裕福」なはずだけど、父は本当は「教師」になりたいという希望もあったと聞いたことがある。昔は、師範学校?は成績にもよるのだろうが、お金がなくてもにゅうがくできると聞いていた。 でも、父は 別の道を選んだ。。。
父は関西生まれだったから、そうあの旧財閥のひとつ 「住友」が大正時代に「住友工業学校」に入った。住友の企業内学校で、いわゆる職工を自前で養成して自社の労働力にするというものだけど、だからお金はいらないし、様々な生きた技術を身に着けることができたのだと思う。 その後戦争もあったし、父の「エンジニア」としての時代は一時で(実際、インドにも技術指導で行った記録が写真等である)、その後 住友ではない農水のエンジン関係の企業に生きる「営業マン」となった。
前置きが長くなったけど、そんな父の「生きてきた道」が、息子である私にはとっても響くのだった。
同じく 福岡市時代のできごと (これも私の脳データファイルの中にある)
福岡市の街はかなりの大賑わいで、たくさんの人が行きかっていた。 昭和30年代だし、「橋のたもと」には、「お乞食さん」がゴザを敷いて 物乞いをする姿もはっきりと覚えている。(他にも、「傷痍軍人」が体中に包帯を巻いたりして、アコーディオンを弾きながら「寄付」を募る姿も 頭の百科事典のように記憶されている)
そんな人混みが当たり前の街を、目的は覚えてなくても、父と二人で歩いていた。 当然私はまだまだ「幼い子ども」だったから、父の手を握りながらも、足元おぼつかず、必死で人混みの中をかき分けるように歩いていた時・・・
反対の手に・・・「アチッ・・・」というやけどのような痛みが走った。。。
そう、当時なら当たり前の、「歩きタバコ」の男が持っていたタバコの火が 私の手に当たったのだった。。。。。
父もまた、「喫煙者」だったからか、すぐにわかったのだが・・・・・私はその時 その痛みや悔しさを吐き出すように
『バカやろ~~~!』って言ってしまったんだな。。。。。。
当然、その「加害者」なのかわからんけど、その声に反応したのかもわからんが 父は 私のことを気遣う前に
その「加害者」と思われる男に対して 『すみません・・・』と謝ったのだった。。。。。。。。。。。。。。。。
なんで???????? と私は 思ったかどうか はっきり覚えてないが、なんか きっとその場ではすっきりしなかったと思う。 だけど 後からは・・・ 了解した。
その時も、父は 私を決して責めなかった。。。。 「ばかやろう なんて言うもんじゃない」とか 「おまえが まっすぐ前を見て歩いてないから・・・」みたいなことは一切言わなかった。。。
もちろん その「タバコの火」による「痕」はなかったと思う。。。。 ほんの一瞬だったんだと・・・
なんか、これも、父が直接に 何かを私に語ったり 教えたりしたことじゃない。。。
ほんとうに、父が父自身の人生を 生き方を そのまんま 態度で 示してくれてたんだと心底思ってる。。。今でも。。。
明日 命日