世の中、日本だけじゃなく世界中で、猛暑による様々な災害や事故が続いている。
以前起きたアメリカのロサンゼルスの山火事は、鎮火したとはネットでも伝えているが、その後いったいどうなったのかはわからない。 地震大国の日本だって、もう1995年の阪神淡路大震災(両親が被災)から、はっきりと多くの人の記憶に残っているだろうとは思っていても、実際かなりあいまいになってきていると「中越地震」の被災者の端くれの私は実感してる。
世界・・・いや、地球上で様々な「自然災害」が起き続けているけど、それは果たして「自然」なのか「人為的」なのかの話題はたまにあっても、実にちっぽけ・・・ 極めつけは あのトランプがそんな不安や心配危惧を、ちゃぶ台返しのようにひっくり返して あたかも あのイギリスの産業革命時のような狂気に走っている。。。
ブログを書こうと、テーマを決めたのに、どうしても この歳になると こんな生活していると、つい脱線だらけ(_(_^_)_
亡き父のことを書き出すと、どうしてもいろんなことを思い出してしまう。
おそらく、私のように兄弟が3人とか 3人以上いると様々な性格の子どもが育っていくと思う(かつての仕事の中でも痛感していた。。。)。 やはり、「一人っ子」や「ふたりっ子」と 3人以上の兄弟姉妹の中で育った人は、いろんな共通点があると思う。 どれが一番いいとかって、実際、後になるとわからなくなると思う。
何が言いたいのか・・・・ きっと亡き父のことを今どう書こうとも、私の二人の兄とはかなり違う印象や記憶があると思う。 もう上の兄(長男)は、去年逝ってしまったので、もう知ることすらできない。。。
私の父がどんな人だったのか・・・・ 魚釣り以外のエピソードをあと2つ書きたい。どちらも生まれ故郷の福岡市の家でのこと(昭和40年前後)⇒だから、あくまでも「昭和」エピソードです。。。
①あれは確か正月のこと。 あの時代、特に父のように大企業(今でも有名な農機具会社です)の営業マンやっていると、「社用族」とか「接待」なんて当たり前のことだが、それに伴って、いろんなところや人から「お中元」や「お歳暮」が送られてきた。 季節の果物や様々な日用品関係 子どものいる家族だとは知られているだろうから、食品関係(あっ!そうそう「缶詰」はけっこうもらったな・・・・そんなことから、最近知った、あの有名な「デルモンテ」が危機にあるとか。。。。)が多かったと思う。
そして、年末には、玄関近くに(当時は)「木箱」に入ったリンゴ(もみ殻といっしょ)や段ボールのみかんが並んでいた。 そして正月三が日のある日。。。。
福岡市内だから雪があたりまえではないから、多少の寒さはあっても、外で遊べる気候。 そんな日中に、ひとりの中高年の男性が、1月だというのに (たしか)浴衣のようなかっこうでやってきた。。。。
まだまだ幼い私だけど、好奇心だけは旺盛。初めて家に黒い固定電話が入った時も(父の仕事上大切だけど、当時は電話設置は不動産と同じような扱いで、「債権」がついてたり・・)電話が鳴ると一番に受話器を取ろうとしたり、家族が受けても、「どこから?」みたいな・・・・
だから、正月の日中に、「へんなおじさん」がひとりでやってきたのを知ると、私は勝手にテンションをあげて、実際、親がどう反応して対応するんだろうとドキドキだった。。。
たまたま正月だったこともあってか、父が一人で玄関に出て対応していたが、なんとその「へんなおじさん」は扇子をもって(たかどうか曖昧だが)・・・・勝手に踊りだしたのだ・・・・・・・・・・・・
私は 当時 おバカなガキの私は、それを見て、(子ども心でも)「おかしな人!」と決めつけたような態度を取ろうとしていたが・・・ 父は、私の父は 玄関で正座をして そのおじさんの「踊り」をしばらく見ていたのだった。。。。。
(その時の私は、もう 「へんなおじさん」以上に 父のとっている対応に目を気持ちを奪われていた。。。。。)
すると父は、 「はい、もうけっこうです」と一言告げ、 いつ用意していたのか 小さなポチ袋みたいなのを・・・いや
お札だったかな・・・・をその人に渡した。。。。。。
すると その突然の来訪者は 頭を下げお礼を言って 出て行った。。。。。。
私の脳の記憶ファイルには、そこまでの動画しかないが、その後父は私には何も言わなかったと記憶している。。。
そう、父は、無言で とにかく 態度で 私に見せていたし、何かを伝えていたんだと思う。。。。
一見、「おかしなひと」のようであっても、決して無下にしてはいけない
(おそらく 正月という時期だし、当時はいろんな人たちが街にあたりまえに生きていた頃だから)
その人も、きっと「商売」として、正月の縁起物として 踊りを見せて ご祝儀をもらおうとしていたのかもしれない
いいか、よく覚えておきなさい と。。。
(なんか、今、これを書いていて、涙があふれてくる。。。。。。。。。。。。 父は亡くなってもずっとその後も私の中にいる)
※ほんとは、もうひとつも いっしょに書こうかと思ったけれど、長くなったから、次回に。。。。。
昭和・・・・ほんとうにいろんな季節があり、いろんな行事があり そのすべてに いろんな人たちが 共にいる。。。
それに、「玄関」って たいせつ 「家」 「家族」にとって 玄関・・・・玄関先 門・・・・