自分のことを書くのに、どうしても避けられないことがある。

かつて、乳幼児期の記憶のある人は少ないと 聞いたことがある。

私もせいぜい はっきりと ある!覚えてる! と言えるのは 幼稚園時代のこと

だけど、たしか その幼稚園時代は当然、その後?にも 幾度となく 同じ夢を見たことを 今でも覚えてる

 

実におかしな はっきりしない夢だった

見る度に、見終わる度に あれはなに?…という気持ちになっていた。。。

何回くらい見たのかは もう覚えてないし 数えたこともなけど 何回見ても 同じだった

あきらかに 白黒…というより 真っ暗だった…ような感じ。。。

 

いつだったか また見たときに思ったのは

あれは 母親の子宮の中かもしれないと いうこと

初めは それは 自分が生まれてくるときの 子宮の中で 自分が必死になって 頑張って

生まれてくるときの場面だと 思っていた。。。

なぜなら あきらかに その場面は 左側が子宮口で やや左に傾いていて

まさに 自分の頭が 狭い子宮口に向かって 挟まれながらも 外へ出て行こうとしている

ように思えたから。。。

 

暗いし 他に何も見えないし  だけど、それを あたかも 外から(横から)

見えるかのように 「それ」を見ているような   そんな「夢」だった。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

ずっと ずっと そう思っていた  いつ頃までか

おそらく もう実際にはその同じ「夢」を見なくなってから そのままに 思い込んでいたように思う

 

だけど、それが変わってきたのは  その捉え方が 変わってきたのは いつだったか・・・・

たぶん それは 自分の「母子手帳」を 自分のものとして 自分で管理するようになってからか

そして、その頃から 母子手帳のページの中の記録の一部が 気になってきた頃か……

 

私には 2人の兄がいる 私は末っ子  男兄弟3人の末っ子として 生まれた

ただ はっきりと教えられていたのは  私が生まれる前には もう一つの命があって

それは 流産死 という形で 生きて生まれてはこなかった命 だった。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

親兄弟とは 残酷なもので そんな「事実」について

兄だったか母親だったかが  ある日 妊娠中の母親のおなかに 

長男が 次男を (ふざけていて?) 放り投げた……からだと・・・・・・・・・・・・  ほんとうに?

本当に それが理由?   原因?      母親は はっきりとは言ってくれなかった

 

でも、それは  その後の自分自身が 信じてきたように

その「死」があったから  私が生まれてきたんだろうってこと。。。。

昭和30年代といっても 決して裕福とは言えなかったから   せいぜい 子どもは3人くらい?

だから、 もし その「死」が 「生」として この世に生まれてきていたら……  わたしは?。。。。。。。。。

 

でも、でも  わたしの???は それで終わったわけじゃなかった……

実は その?が 母子手帳に記載されていたから。。。

当然 母子手帳には 妊婦の 妊娠に関する記録が記載されている 初めてなのか 2回目 3回目なのか…

それを はっきりと 明確に 母親に直接聞けたのは

5年くらい前だったか…   父親が亡くなって数年後、母親が認知症を発症して 

じきに 施設に入ってから まだ 認知症がそれほど進んでいなかったときだった

まだ 特に 過去のことを聞いても けっこうやりとりできていた頃だった

 

ある時 施設に行って  母親に 母子手帳の記載のことで はっきりと聞いたら……そうだった。。。。。。

 

それは 母親が 結婚して 父との間にできた子どものこと。。。。。。。。。。。。。。。。。

それは 中絶だった。。。。   それも 2回。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

私の母子手帳に記載されていた ?な「記号」の意味は そういうことだった。。。。。。。。。。。

 

そして、私が思ったのは

私が生まれるまでには   3つの「死」と 2つの「生」が あったのだった……と。。。。。。。

 

それからだった  また 思い出した  あの「夢」のこと…

 

あの「夢」は     私が生まれるときの 子宮の中のものじゃないと。。。。。

あれは  私ではなく

生まれて来れなかった  3つのいのち  だったんだと     

わたしは いまでも 思っている

 

はじめて この話を 外に形として 出した。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。