ほとんど「離脱症状記録」と化した私のブログ。。。
そんなつもりで始めたアメブロじゃないのに、2016年の秋から始めたのは、
その1年後(今だと一昨年)の秋に亡くなったKちゃんが、膵臓ガン末期で闘病生活をこのアメブロで
綴っていたこともある。
・・・・・・ということも今、改めて思い出す。。。。
レンドルミン断薬2年が過ぎたけど、服薬期間はその10倍を超すおぞましさ。。。。。。。。。。。。。。。。。
そんな思いを ようやく現実のものとして 背負う覚悟だけはついたつもりだけど
そうやって 背負いながら歩けるのかは まだ。。。。。。。。。。。。。。。
でも、身近でわかって欲しい人には 話そうにも、話そうとすればするほど 感情が 負の感情が
どんどん溢れるので せっかくだし これまでの 離脱記録をまとめてプリントしようと思った。
そんな作業を 10連休中にしていたら、 自分が今一番求めている情報は何かということに
ちょっと気づいた
それは 決して「共感」というものじゃないような気がする
漠然とした「共感」の言葉ではなく まだまだ自分の中で起きていることを 確かめたいんだと思った
今起きていることが どういうことなのか 自分だけが異常なのか わからないことが
一番 不安の再生産の源のような気がした
と、こんなことをグタグタと書いているのも
1年前とも 2年前とも 3年前とも・・・・・・違う現実の生活のためだとも思っている
昔の自分に言わせれば 「お前はさ 今、ヒマだからそんなことグタグタ考えて書いてるんだよ」
ってことになる たしかにそうだろうな
でも、こんな書き方だからこそ
自分のことを 今と比較しながら あれこれ見直せることにもなっている
だから、しょうがない
「コメント」欄を 復活させたのも 実は 具体的な反応を求めたくなっているのだと思う
自分の離脱症状だって まだまだ多種多様に湧き出てきて それぞれに違う感じ方をして
一喜一憂してしまい おそらく様々な妄想にとりつかれる精神病患者になっているような状態で
これって なに? これって 私だけ? これって やっぱり異常?
ということで 孤立し続けることが かなりヤバイと切実に感じることが多くなっているのだと思う
こんな私のブログを見て 「やっぱり 一気断薬なんてしたくないよね」と 反面教師ブログに
してくれればいいなとも思ったけど
どうやら 長期に減薬している人も なんだか似たような離脱症状がまだまだあるんだとも思うにつけ
やはり現実的に苦しいのは 「離脱症状」そのものであり、それをずっと抱えながら(痛感しながら)
毎日を送ることなんだろうと思った
ならば、安易な励ましや慰めよりも
具体的な反応のほうが ありがたい 私は
それは このたび 「コメント欄」復活をしたら かつていただいたコメントもちゃんと見れるように
復活していたのを 気づいた そんなこともわからず
また かつていただいた言葉さえ忘れていたことにも気づいた
ただでさえ 認知能力 記憶力の激減を痛感している日々だから
やっぱり このブログの記録機能はありがたいと思った
反面 「いいね」は 私のような凸凹人間には ほとんど「意味不明」なので
今後もつけるつもりはない 「意味不明」は 私にとって 怖いから。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
大切な「同級生」の 亡くなったKちゃんのコメントも ちゃんと残っていることに気づいて
うれしかった。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
もう居ないけど 私のブログに ちゃんと遺っていることが うれしかった。。。。。。。。。。。。。。。
このブログを書くこと自体 今の私にはたいへんな作業だけど
やはり 生存確認と 他の人の離脱症状の現実を 断片的でも 具体的に知りたいために
まだしばらく グタグタと 自分の症状にこだわっていきたい
もちろん そんな なんの前向き内容でも パワーを与えられるような内容じゃないから
どんどんスルーしてもらっておおいにけっこうです
私もいまだに 他のブログをちゃんと見る気力もない ほんとうにどうしようもない生活だから。。。