親の事情で、私は生まれてから今まで、常に核家族の中で生まれ育った。身近に血族がいるという環境を体験していない。

それもあって、身近な親族が亡くなったり、葬式に出るという体験を初めてしたのは、母方の祖父が食道ガンで早くに亡くなったとき、田舎の「賑やかな葬式」の中で、いきなり「しゃれこうべ」を見たのが忘れられない。

 

 今の様に、近代化された火葬場で高温で焼くのとちがい、

昔は骨がそのまま残ることは珍しくなかったのではないか。

祖父の頭蓋骨がポンと石の台に置かれていたのが、今でも脳裏にこびりついている。

 でも、それは「人の骨」であり、「人が死んで焼かれれば、骨になる」、ただそれだけのことであり、私にとっての「死」の認識にはならなかったのだと思う。 それに前述のように、その祖父母と同居して、共に生活を共にしたことはなかったから。。。

 

 だから、私にとっての「初めての死」とは、そんな「家族の死」ではなかった。 あれは、私が生まれた福岡市でのことだから、小学校の前半(1~3年生)頃だと思う。

  その「死」とは、道ばたに捨てられていた 子猫の死だった。

 

まだ幼い頃だったし、私専用の自転車などなかった頃だから、

一人で出歩く行動半径など、たかがしれているが、あれは確か、

いつもの公園に行く道の途中だったと思う。 まだ昭和40年あたりだし、アスファルトの舗装道路が当たり前ではなく、砂利で踏み固められて様な道だった。

 

 あの日も、家に帰る途中だったと思う。 もうすぐ目の前の通りを右に曲がれば舗装道路で、父の会社の社宅に100㍍ほどで着くという、そんな途中の、左端に その子猫は いた 

小さな声でないていたので、すぐに気づいたのだと思う。

 

 生まれてすぐかどうかよくわからないが、当時は、街のあちこちにノラ猫はあたりまえ、当時はしっかりと野良犬はどこにでもいて、幼い子どもにとっては、決して安心安全とは言えない時代だった。

 

 正直、その小さな捨て猫が、毛色がどうで、どんな目をして…ということは、 覚えていない。。。 ただ、生きて泣いていたことだけ。。。

 

家に帰って、いつものように夕方6時頃に夕食を食べ終わり、

いつものように、専業主婦の母親が、台所で後片付けをしていたときのことだった。。。

私は 3人男兄弟の末っ子で、ストレートに甘えることが、今思えば、決して上手ではなかった。

だから、様々な家事をする母親のそばにいつもいて、掃除でも、市場への買い物でも、食事作りでも、針仕事でも、すべて、見ていた。

 

 だから、言いたいことはなかなか言えずに モジモジしていることのほうが多かったように思う。

 

そんなことが日常だから、 あの捨て猫のことを 洗い物をしている母親に、どう切り出して、どんな言葉で あの捨て猫のことを話したのか、 全く覚えていない。 

 でも、もう外は暗くなっていたのは、確かだ。。。。。。。。。。。

そして、とにかく あの捨て猫の話を、母親に伝えたのも確かだ。。

 

 なんて言ったんだろう。。。。。あの子猫のことを。。。。。。。。

覚えてない。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

でも、でも、きっと 私が言いたかったのは、、、、、

 

あの 捨て猫を助けたい?  いや ちがう。。。。。。。。。。。

あの子猫を拾って 飼いたい だ っ た と お も う。。。。。。

 

 この後の記憶は、もう 翌日しかない。。。。。。。。。。。。。

 

翌日、午前中か 午後か もう覚えてない。

 

あの捨て猫がいた同じ場所に行った。

 

そこにいたのは  もう ぺしゃんこになってしまった 子猫だった

 

 

 

それが 今でも 変わらない 

今でも 私にとっての

はじめての「死」だった。 自分以外の 生き物の

生あるものの「死」だった。

 

これが「死」なんだと思った。 消えることなく

私の中に 刻み込まれた 死 だった。

「死」って、こうして見えるんだと思った。。。なぜか

これが死というものだと

何かに 誰かに はじめて 教えられたような。。。

 

今でも 変わらない