大晦日のNHK-BSで黒澤明監督の映画(モノクロ)が連続放映されていた。 午前中に「七人の侍」 午後には「生きる」など。

 これまでにも、何度も繰り返し放送されていたのは知っていた。

またやってるよ…と、これまで思って、実はちゃんと意識してみたわけではなかったのだった。 全体のストーリーというか、「ああ、あの話ね・・・」とか そんないいかげんな認識のまま、数十年もたっていたのだった。。。

 

 この映画には、当時だから何人もの同じ役者が登場している中、

志村喬の演技にすっかりはまってしまった。 すごい役者だ。。。

「七人の侍」では、長のような堂々たる役を演じていたが、「生きる」では、当時の役所ではまだ珍しい「市民課」の課長の役なのだが、30年間、「何もしないで、ただ判子を押すこと」を"ミイラ”のように続けてきた。 妻に早くに先立たれ、一人息子とその嫁の暮らし。 ほんとうに、何のために生きてきたのか・・・・・(息子のためとは言うが……)

 

 実は、末期の胃がんの宣告を受けていた(が、当時だから、主治医からは曖昧なことしか言われないが、外来待合室の他患の情報のほうがはるかに現実味を帯びていた。。。)

 そこから、人生が一変する。。。

 

 映画は昭和27年の作品。 まさに「戦後を生きる市井の人々の生活」の真っ直中。様々な生活環境の劣悪さも垣間見えるが、そんな日々の暮らしの中で、水はけも悪い決して広くは無い空き地に、母親たちは子どものために公園を作ってくれるように市民課に陳情に来る。

 

 当然、今でも変わらぬ「お役所」だから、「たらい回し」の末追い返され、諦めさせられる。。。 主人公である課長の最後(最期)の「お勤め」が一気に動き出すのだった。。。 生き返ったように、おそらく一人子を残して妻に先立たれて以来、”ミイラ”になってしまって以来、蘇ったのだった。。。

 

 今年、10月17日に末期の膵臓ガンで逝ったKちゃんも、このアメブロで「ガン友」さんたちから本当に助けられたとメールで語ってくれていた。

《10/7.21:17のメール:余命は私の方から聞きました。言葉を選びながら主治医は真剣に答えてくれました。  仲間は本当にとても大事だし、大きな存在でもあります。  不思議と穏やかな気持ちですよ。もう、一人で苦しみながら日々の細々した事をやらなくて良いんだと思うと凄く楽。》

 Kちゃんが最期の時間の日々思いを綴ったブログが、なぜこのアメブロかも、6/23のメールで知った。 私も別のブログも使っていたが、Kちゃんとのつながりで日常を綴るブログとして細々始めていた。

 

 映画の「生きる」を見直して、人がどう生きてきたかは、「どう逝くのか」ということと重なるように思えた。 単に言葉や行動だけではなく、役者はその身体を使って、全身を道具にしてあらゆることを表現するんだと改めて思った。

 

 と書いているうちに、やっぱりKちゃんのことを思いだし、やっぱり、この大晦日に書いてしまっている。Kちゃんとは、もうほとんどブログの言葉とワンコの写真が中心だった。都会でずっと一人で生きてきたKちゃんにとって、ワンコの存在は家族そのものだった。最後のワンコはKちゃんの子どもたちのようだったけど、かつては一人で生き抜くKちゃんのボディーガードのようなワンコがいつもそばにいたっけ。。。

 

 Kちゃんは、一人だったけど、決して独りではなかった。しかも、声を上げられないような「仲間」たち(ほとんど年下)を守りながらも、苦悩を代弁するかのような言葉を、自らの経験を織り交ぜながら語っていた。

Kちゃんは私の「同級生」だった。。。

 同じ時代に生まれたのに、全くちがう人生を歩きながらも、十数年前に偶然、なんとネット上でリンクしたのだった。。。。。。。。。。。。。。

もっと本音を綴りたいとよく言っていた。。。死生観についても。

 

だから、今、SNSも決してバカにできない。

始めは同じ仲間のためであっても、その枠から飛び出すのは、もっと大きな想いがあったからだと思う。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

私はもう、「ベンゾ」にこだわるつもりはない。 「向精神薬」にこだわることもないのは、自分としては、もうしかたのないことだから。

むしろ、まだまだ気づいていない人や正しい知識を伝えられていない人や、さらには、今は全く縁の無い人でも、今後何かのきっかけで「精神科医療」や他科であっても「向精神薬」を身体の中に入れざるを得ない人のためにも、まだ出会っていない人のためにも、私の発信するものが、そんな人たちにも「みつけて」もらえるように、リンクできるようにしておきたい、そんな内容を、明日以降綴っていけたらと思っている。

 

グループだって、全国各地に増えればとは思うが、実際増えていく現実を想像すると、ゾッとする。止めて欲しいと思ってしまう。だから、狭い小さなカードやキーワードではなく、登って数人しか立てない頂上を目指すのではなく、降りて降りて行って、広い広い裾野やそれに連なる平地に、たくさんの人が出会える場ができればと願う。

 

 Kちゃん、それでいいよね。。。