日本の敗戦後、アメリカはいろんなモノを世界中にばらまいてきた

もちろん様々な病気を治す薬も日本に入ってきて救われた人も少なくない。

 それでもそこは、昭和30年代に生まれた私にとって、「三丁目の夕日」のような望遠鏡の先に見える ノスタルジックな世界ばかりではない。

 「チクロ」って知ってますか? 「シクロヘキシルスルファミン酸ナトリウム」の略で、アメリカで作られて戦後世界中に広められた。合成甘味料として。。。 そう 安くて甘いのだ。

 だから当時、「駄菓子屋」は私(たち子ども)にとって、必須と言っていいほどの存在だった(あめ玉1個1円・5円、10円であれこれ買えるし、食べられる。。。そう、子どもの居場所…)。

 駄菓子屋以外でも、広まり始めたスーパーで買う「粉末ジュース」など「安いけど本物の~じゃない」食品には必ずと言っていいほど、使われていた。 本物の砂糖の代わりに。

 

 しかし、チクロはその後「発がん性物質」とされるニュースがまたアメリカから流れるや否や、使用禁止になった(今はそれは否定されているらしいが)。 たぶん私の小学生時代の大半は「チクロ漬け」だったろうな。。。 その後も、同じ合成甘味料として「サッカリン」も騒動になったり、甘味料だけでなく合成着色料もたくさん使われていたことも考えれば、決して贅沢のできない(高い本物食品が日常的に摂取できない)"一般庶民”としては、有名な「ファンタグレープ」飲んだら、舌が真っ紫みたいな、今ならゾッとするようなことが、当時は「普通」だった。

それも含めると、化学合成物質の摂取を子どもの頃ずっと続けざるを得なかった。

 

 それは企業の犯罪にはならないだろうが、昭和の半ば頃、高度成長期からバブルの頃までの間には、様々な企業による人体に有毒な物質を海や川に違法に垂れ流したり、わからずに食品に含まれてしまって多くの人たちが亡くなったり、今でも苦しみながら国と企業を相手に訴訟を続けている人たちがいる。(あえてここでは具体名は書かない)

 

 そんなことを、この国は、日本という国は ずっとずっと続けてきているのだ。 私たちの国は。。。

 

医療もそうだった。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

私にとって忘れられない「事件」は、血友病の治療薬としての血液製剤にHIVウィルスが製造過程で混入していたことによって、多くの血友病の患者さんたちが亡くなった事件だ。 NHKのドキュメンタリーでも放送されたのをご存じだろうか。。。 常に国は関与していた。。。

 私はかつて、その被害者として亡くなった人を支援する活動をしていた。まだHIV/AIDSの有効な治療薬が日本ではなかった悲惨な時代だった。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

 だから

向精神薬のこと ベンゾジアゼピンのことも  もっと

広く考えてもいいんじゃないかと思う。

どんな経緯であっても、 「それを常用してきたのって、あなたに理由があるんでしょ?」とか、 「あなたが弱いから 安易に依存してきたんでしょ?」という 強迫的な自虐的な考えはもう 捨てませんか?

そんな考えから もう  それこそ、 それから離脱しませんか?

 

私はもう すでに 貴重な経験をしてる

振り返れば この問題を知る前に すでに 始めていた

なぜか?  私の身体が もうすでに 感じていて 気づいていて

身体が 肉体が 私に 私に向かって サインを送り続けていた

 もういらない  もういらない  もういらない  もういらない

 

もういらなから もう止めよう!!!!!!!!!!!!!!

それは 私が このアメブロを再開し始めてじきのことだった

前にも書いた通り かこさんのブログだった。。。。。。

 

やっと 私は気づいたのだった

外の世界ではなく  誰でもない  私の身体が 肉体が

ずっと おそらく 初めて向精神薬を飲み出した20年以上前から

ずっと 震え うめき 声を出し そしてついに叫びだしていたのに

 

毎日毎日 レンドルミンを飲んで寝てるのに 何回も

あれ、なんて効かないんだろう  なんで眠れないんだろうと

頭で考えていたのに  その時の 眠れない身体には

何も聴かなかったのだ  わたしは

 

だから もう 私は 第一に 私の身体の声を聴くことを最優先する

頭の中の理屈ではなく  耳を澄ませなければ聞こえない

私の身体の声を聴く

どっかのお題目のような機械のような言葉ではなく

強迫的な ホラー映画のセリフのような

これを守らないと 幸せになれないぞぉ~のような言葉を

私はきかない  もう いやだ