今日も秋だけど、気温が上がって、蒸し暑い。。
三連休の真ん中で、またふと思った。
あれ、左肩の痛みは、どこへ?
これまで腰のあたりの激痛のことを書いていたけど、
昨夜あたりになって、やっともう気にしなくても(動くと・・・)
激痛はもうないという状態に、「回復」した(みたい)
やれやれって思ってたところに ふと気づいた
「左肩の痛み」は、もういつ頃からだろう。。。
数年前から? まだベンゾ眠剤をしっかりまじめに飲んでいた頃も
10年ほど前に、右手(掌)の握力が激減して(握力計で10くらい!)
整形外科クリニックから始まって、総合病院では初めての筋電図の検査もして、手の外科の疾患かと思ったら、首の骨の左側に小さなヘルニアがあると言われ、その影響だと言われ、でも手術するほどじゃないと言われ、お決まりの投薬や「じゃあ、電気かけましょうね~」のさっぱり効かない治療だったけど、服薬を自分で止めたら、そのうち握力はもどった。。。。
ただ、断薬をしてから、右手の掌の中指の付け根の関節が痛くなり、バネ指かと思ったけど、なんかヘン。。。。。
と そんな中、ここの離脱仲間さんのブログで、「四十肩」の文章を読んでから、 ああ・・・・・と私にビビッと来て、自分の意識のアンテナが
しばらく意識してなかった、左肩に向かったら・・・・・・違和感なし。。
私は、グループとか、ここの離脱仲間たちのブログの交流(コメントなしでも)を通して、お互いが「鏡」になるんだと実感している。
ああ、こういうことってあるんだな…、そのうち自分も?
あっ、私と似てる・・・・なんか同じ?
ええっ・・・ 私と同じみたいだ! 私だけじゃなかった。。。。。。。。
黙ってなくてもいいんだ 堂々と書いてもいいんだ
と、それぞれの背景や現状がちがったとしても、
過去ログを遡っていくと(その仲間の一番始めの様子とか)
ああ、最初はやっぱり似たような思いだったんだな。。。って思う。
その安心感って、決して、「互いの傷のなめ合い」なんかじゃない。
私はこれを、「お互いがお互いの“鏡になる”」って名づけてる。
誰かの声で、言葉で、語りで、体験で、
自分のどこかに、同じ部分に意識が向かう
その人が、「肩の痛み」に触れたら、
自分も自分の「肩」に意識を向かわせる
そして、その部分の、声(聲)を聞く(聴く)
それは、「今のこえ」だけじゃない 「これまでのこえ」も
すると聞こえてくる あるよ まだあるよ でも・・・・ちょっと違うみたい
「今の声」は、すべてじゃなのだと思う
「いま」って、すべてが一瞬で通り過ぎるから
でも、「過去」は、連なってずっと在る
なのに、人は、今苦しいと、今しか、今の痛みしか見えなくなる時がある 今が一番辛いと思いがち
だから、「いま」から逃れたくなるのかもしれない
気づくと、私の左肩の痛みは、 どっかに行ってしまった。。。
かつては、回すとゴキゴキ鳴ったし、まっすぐに上げられなかった
五十肩?だった?
こればかりは、マッサージもどうにもできなかったけど・・・・
今朝、目が覚めたとき なんか 全身のしびれが
ちょっと軽くなった感じがした。。。。。
ちょっとうれしかった
身体って、この肉体のシステムは
私の思うとおり、願うとおりとは限らずに
それなりに、自動メンテナンスをしてて(機能してて)
しっかり働いているんだな。。
ちゃんと気づいてあげることが
自分で自分の身体の働きをほめること?
感情も移ろい 痛みも移ろう 遷ろう
「耳鳴り君」や「ふらつき君」は元気ですよ