先週、月1の内科受診に行っていた。高脂血症の薬をもらう。
毎回診察前の看護師が血圧を測ってくれるが、断薬後にいきなり血圧が10以上上がっていたので、
気になっていたが、今回は上は戻っていたようだった(断薬前はずっと上は120前後以下)。
主治医はそれを見て「よかったですね」と言ってはくれたが、私は「そうか、一応関心はもってくれているんだな」と思ったので、 つい ベンゾの話をしてしまった。 「よかった」で終わらせて欲しくないから。
血圧のことだけでなく、睡眠のことや様々な感覚の異変や動悸のことも話すと、医師は言った。……
「心身症かな・・・・・」
私は、アシュトンマニュアルのことを言いつつも、精神科医の現実をちょっと口にすると
「ああ、じゃあ(日本では)まだエビデンスはないんですね。 じゃあ、私の立場じゃ何も言えないな…」と。
この医師とはケンカする気はないので、「内科的なことをちゃんと診てくれればいいです・・・・」とだけ言った。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
やっぱり、話すんじゃなかったなぁ~と思った。 いや、何か期待してしまっていたのだと思う。
決して悪い人じゃないから、この医者。。。 かつてずっと通っていた地元の大総合病院(全国チェーンの)から、「お国の指導で、この綜合病院に来ることは止めてください。紹介状は書きますから」と言われて、ここに来たのだから。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
この三連休中に出てきた背中の激痛は、今日は位置を変えていた。今は右側の腰あたりが中心。
アシュトンマニュアルを読み直しているうちに(症状の箇所)、呼吸法がプラスになることが出ていた。
「呼吸法」は世界共通にいいんだと思った。
そして、激痛の痛みがどんなときに出やすいかを意識し、激痛が走る前に(身体を動かす前に)、痛みを想定してつい息を止めてしまっていることに気づき、逆に息を止めずに、あえて呼吸しながら動かしたら、かなり痛みを緩和できることに気づく。 ふだん緊張しているときに(一時何かに集中しているときとかにも)ふと気づくと息を止めてる、呼吸していないことに気づくことはこれまでにもあった。
しかし、今回、ベンゾ断薬5ヶ月の今、この痛みや消化器系の不具合が気になる。かつてもあったが、その時には一時的なもの、ストレス反応だと思っていたが・・・・
だから、せめて内科医には言って、何でも良いから助言を、と安易な期待をしてしまった。。。。
夜中、布団の上で、寝返りを打つことにも苦労しているが、つい激痛が走ったときに、叫びたいほどの痛みがあるのに、「痛い!」と言えない自分を自覚する。 ガマン? 何度も何度も言ってるわけにはいかない? 言っても、言葉にして、どうにもならない?
と、「症状」と自分のことを考えていたら、 これって、私自身のこれまでの生き方そのものじゃないかと思った。
まだまだ私のブログは、自分の身体の中で起きる「症状」にばかり意識がいって、そのことばかり書いているので、「またか」と思われることが多いかと思う。 私はまだ、今は、このことを「社会問題」化して、そんな表現で自分の思いを綴ろうとは思っていない。
「まだまだ」なのは、自分のことを自分で説明できずに、「社会に対して」どうこう言うつもりは、 まだないからだ。 ただ、これが私の仕事上で起きているなら、 そうこれまでのように、 攻撃的にも、訴えているかもしれない。。 でも、それも、また、 これまでの私の生き方そのものだということにも、今改めて思う。
そう、 「ベンゾジアゼピン」の問題は、まずは個人としての「私の身体で起きていること」を、自分の感覚と言葉で表現したい。自分のために。 ここで言う「身体」とは、世間で言う「心と体」の両方だ。ふたつでひとつだから。
そう、集中力の低下は、自然と、抑うつが強くなる。なってる。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
そうして、おっくうになっている自分
今日は、午前も午後も仕事だったが、午後の現場を出るときには、後ろの腰のあたりに痛みが走り、「イタタタ・・・」と小声で言ってしまった。
腰が曲がっているのに気づき、それを見られているかとも思い、言葉にすることで、曖昧にしてしまったのだと思う。 これも「恥」? 私の根っこ?
わけわからん内容だ。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
これも私の今。 そして今につながるそれまでの私。 ごまかしてきた人生。 自分を置き去りにしてきた、自分で。 「これも、あなたのでしょ?」 「それも、あなたでしょ?」。。。。。。。。。。。。。。