怪談で温故知新【遊廓】
怪談好きわたしは「怪談」が好きである。子どもの頃からなので、かれこれ50年以上なのである。1990年代後半から2000年はじめあたりに久々に怪談ブームが起きた。まだYoutubeがなく、動画で怪談を聴くために有料コンテンツを購入したものである。当時中山市朗氏の怪談をむさぼるように聴いていた。中山さんの話の中に「もうひとり」という話があり、当時震え上がるほど怖かった。最恐!怪談夜話 BSホラーナイト|番組|NHKアーカイブス現代を舞台にした怪談の名手たちが夏の夜を涼しくするような怖い話を続々と披露。司会・佐野史郎、荒俣宏、ゲスト・つまみ枝豆、中澤裕子の恐怖の実体験話にも注目。www2.nhk.or.jpそして⬆この話がかの西浦和也さんの警備会社時代の体験ということを知ったのは、恥ずかしながらつい最近のこと。⬇元ネタはこちら- YouTubeYouTube でお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be歴史に詳しい怪談師は、「聴き」である私の好きな怪異蒐集家のこの二人は歴史背景にものすごく詳しい。怪談は怖がるだけではいけない。なぜその現象が起きる(かもしれない)のか、歴史的背景を知ることで見えてくることがあるからだ。歴史に詳しくなければ、話が立体的に見えてこないことは多々ある。だから私は、歴史に詳しい怪談師たちが好きなのである。でだ。西浦和也さんのYoutubeチャンネルを数ヶ月前にやっと登録し、耳だけ聴きながら作業したり買い物したりすることが多い。そんなこんなで聞き流しながら作業をしていたのだけど、あるところで「ほえっ!??」となったなんと、静岡の怪談を語ってくれていたのだが、その内容が「浜松の遊廓跡の建物」の話なのである。▼こちらおそらく、二葉遊廓のことかなー・・・と思うのです。地元の人は、今は閑静な住宅街となっているところにかつて遊廓があったなどとは知る由もないのです。当時を知っている人以外は…。※2026/08/04追記もしかしたら、東海道沿いにあった伝馬町/旅篭町遊廓(飯盛旅籠)なのかもしれないです。「大通りに面してる部屋」というのが合致しますよね。そこは静岡市と同じだと思います。飲み屋街として残っているなら「昔からそういう街だったのかなー」と思うものなのですが、閑静な住宅街や旅館街(まあ、旅館街なら知ってる人は知ってるよね)に変わっていたりすると、まさかここが?嘘でしょう?・・・ってなる。元遊廓とか、元置屋をアパートにリノベして貸し出している場合は、珍しくないのではないかと思われる。この怪談の遊女この窓辺で待ってる女の人。ついつい、わたしはこの女性に感情移入しそうになってしまい、非常に危ないのである。------妄想----当時、客と恋に落ちることなんてザラにあっただろう。なにせ子どものころから遊廓の中の世界しか知らないのだし、若い女性なのだし。いわゆる「間夫」というやつですよね。年季が明けたら一緒になろうと約束したり、そしてそのまま来なかったり。身請けの約束をしてそのまますっぽかされたり。もちろん男の方にも事情があるだろう。本気で迎えに行こうと思ったが、家族親戚中から大反対された。当時、家というものをそんな簡単には捨てられないのが日本人である。遊女を妻として迎えるというのは、かなりの覚悟がなければできなかったと思う。そんなこんなで、男は迎えに行けなかった。親が決めた人と結婚し、普通の家庭を築いたのかもしれない。一方遊女は、いつまでも来ない男を待ち続けた。もしかして今日来るか、今日来るかって毎日待っていたのかも。来ない人を待ちながら、自分から離れてしまったことを知って人生を終了させてしまったのかもしれない…。------妄想おわり----などとな~、わたしは妄想癖があるからな~・・・。実際にはどんな事情があったかはわからない。でも遊女らしきこの女性は、とにかく待ち続けているのだ。時を超えてずっと待ち続けている。この怪談を聴いて、わたしは悲しさしか残らなかった。近くに行くときには、なるべく無心でいなくてはいけないな(^^;もうひとつの浜松の遊廓跡かもしれない怪談それは、この話である。【怖い話|実話】短編「雨夜の音」不思議怪談(静岡都)不思議で怖い話。静岡県浜松市の下宿で体験した実話怪談(短編)。投稿者の男性が学生の頃、駅から少し離れた木造2階の安い下宿に住んでいた。家賃は3万円台で、壁は薄く、廊下を誰かが歩くと天井がミシッと鳴る。静岡の田舎にはよくある古くて癖のある建物だった…kowamushi-lily.com有名なお寺・・・って、鴨江寺だったりして?(あくまでも想像)でもはっきりはしないから、ちがうかもしれない。この話の中では「寺への参道」だけで話が終わっているが、もしも鴨江寺だったとすると、近くにあったのが二葉遊廓だ。参道の近くでなかったら、ちがうのかなぁ・・・だけど。ワンチャン、遊廓跡の可能性もあるかもしれないし、ないかもしれない(ぼやあ・・・)憂いに満ちている彼女たち遊女たちはどうやっても、「幸せ」とはかけ離れている。だからどうしても、遊廓のことを考えると少しもの悲しくはなってしまう。仕方がないことなのだ。静岡市の二丁町遊廓跡地の通りに「しあわせ通り」と命名されたのは、せめて遊女たちの魂が(来世があったら?)しあわせになりますように、と付けられたのか。それとも「幸町」に向かう通りだから単純に「しあわせ通り」と付けられたのか。残念ながらわたしは詳しくは知らないのである。