地元民こそ知らない人もいるかも「ちゃっきり節」
現在清水イオンが建っているところは、かつて静鉄所有の遊園地だった。静鉄っていえば、しぞーかでは鉄道とバスの交通会社。でも、それだけではなく、新静岡セノバも静鉄ストアも不動産も、自動車学校も、日本平ホテルも日本平の観光地も、ロープウェイもいろいろ手広くやっているのは、地元民なら誰もが知っていることである。ただ、ヤングランド=静鉄ってのは子どもの頃は知らなかった。私たちが子どもの時代には「狐ヶ崎ヤングランド」として、地元唯一の遊園地。夏はプール、冬はスケート、恋人たちには手漕ぎボート、遊園地ならではのアトラクションなどなど、けっこう楽しんだものである。子ども同士でも静鉄電車で行って「狐ヶ崎」で降りればすぐというアクセスのしやすさで、交通不便な静岡にしては非常に行きやすい遊園地だったのだ。ヤングランドとしては昭和43年に開園だが、その前身である「狐ヶ崎遊園」の開園はなんと大正15年。そんな時代からあったというのは、ジモティーのわたしですら知らなかった。本格的な開園は昭和2年。まだ歩いて移動する人も多く、東海道が生きていた頃、その東海道沿いに「狐ヶ崎遊園」は建てられた。静鉄が社運をかけて建設した大事業だったのだろう、と今考えても明らか。子供の頃は静鉄の遊園地だなんて知らなかった。静岡や清水のお茶やみかんを買い付けに来る全国の人たちが利用できるように、園内には料亭兼旅館の「翠紅園」があったらしい。この翠紅園・・・情報モトム。(2026/04/13追記:温泉や食事ができる、遊園地付きの旅館だったらしい)静鉄は、この狐ヶ崎遊園や地場産業を盛り上げるためには、PRソングがぜひとも必要と考え、かの北原白秋に作詞をお願いした。ちゃっきり節の作詞が北原白秋と知ったのも大人になってからだ。どうも静岡はPRが足りないw熱烈な依頼に対し、なかなか首を縦に振らない北原白秋の元に通い詰め、この歌を作ることに地元の産業をいかに盛り上げていきたいかを熱弁し、決して諦めなかった静鉄の長谷川貞一郎氏がいた。果たしてこの口説き落としが、どれほどのものだったのかは想像することすらできない。ついに長谷川氏のその熱意に北原白秋が折れた。はるばる静岡へ来た北原白秋を、これまた社運をかけて目一杯もてなした静鉄。静岡駅前のきっと高級洋風ホテルであった「大東館」uc118-Shidzuoka Daitokwan Hotel 大東館ホテル 静岡停車場前uc118-Shidzuoka Daitokwan Hotel 大東館ホテル 静岡停車場前www.ehagaki.orgここを拠点にし、浮月楼▼【公式】浮月楼 徳川慶喜公屋敷跡(国登録名勝/国登録有形文化財)浮月楼はJR静岡駅北口から徒歩3分、明治二四年創業の料亭・催事場です。ランチやディナーといったご会食、ご結納・お顔合わせ、お食い初めや七五三、長寿祝い、ご法事・ご法要、同窓会、宴会、会議、展示会、イベント等にご利用いただけます。庭園をご覧いただきながら、季節に合わせたお料理をご堪能下さいませ。fugetsuro.co.jpへ招待され、大宴会。浮月楼・・・今でも高級料亭ですぜ(;゚д゚)徳川慶喜がいた屋敷ってことで、見目麗しい場所ですぜ。そこで一流の芸鼓たちを呼んで大宴会っていうことは・・・いうことは・・・庶民には想像つかないほど贅沢ってことなのである。このあと白秋氏は、宿泊先を新求亭という旅館に移動する。この旅館の情報がわからない。どこにあったのだろう。【2026/05/14追記】新求亭の場所わかりました♪▼『古地図は沼』わたしは地図を見始めると止まらない1990年代の地図帳は、未だに捨てられない。しかし特に大好物なのは地元の古地図である。江戸の地図帳も、まったく土地勘が無いの…ameblo.jp二丁町の近くだったのでは・・・と邪推するわたしw↑読みは見事に外しました(2026/05/14追記)そんでもって北原白秋氏は当然のごとく、静岡最大の遊郭であった二丁町へと足をのばし、芸者や遊女たちと遊びながら毎晩大蛇のように酒を飲みまくった。そんな贅沢、してみたい!!何日経っても作詞の「さ」の字も見えないくらいに遊び回る北原白秋。静鉄スタッフや関係者の焦りといったら、いかほどのものだっただろう。・・・うん、ひたすら恐ろしいわ。貧血起きるわw北原白秋が主に遊んでいた遊郭は蓬萊楼。小松楼との説もあり、まぁ色々行ってたはずよ、うん。蓬莱楼は当時の二丁町遊郭のなかでも、最高の遊郭。トップ3にぜったい入ってくるほどの人気店だった。斬新なアイディアで客を虜にし、リピーター確保にも力を注いでいた。プロデュース力、広告力は見習うべきものがあると思う。わたしはこの遊郭をもっと調べたいのだ。そこの芸鼓をしていた〆吉姐さん。芸を教えるのはかなり厳しかったらしい、プロフェショナルな姐さんだ。夕方から飲んだくれていた北原白秋のいた部屋。〆吉姐さんが障子を開けながら、外の様子を見た。安倍川まで広がる一面の田んぼ(遊郭の周囲は田んぼだった…まぁ、遊郭はそーゆー場所にあるよね)。ゲッゲッゲッゲッゲ・・・最初は数匹のアマガエルの声が聞こえ、そのうち大合唱となった。その様子を見たら、昭和のしぞーか人ならつい言ってしまうひと言。「あら…きゃあるが鳴くんて、雨ずらよぅ」ここで北原白秋はどんな衝撃を受けたのかwどんな会話が〆吉姐さんとあったのか。想像してしまう。白秋「え・・・?君、今何と言ったかね?」〆吉「あれ・・・、何がかねぇ」白秋「障子を開けながら、今何と言った?もう一度言ってくれないか」〆吉「はぁ。きゃあるが鳴く・・・あらやだ、あたしゃ土地の言葉丸出しで、恥ずかしい」白秋「いいから言い給え(#^ω^)」〆吉「きゃあるが鳴くんて雨ずらよぅ(。>﹏<。)」白秋「それだぁ!!⚡宿泊所から、筆と原稿用紙とってきてくれーーーーーーー」〆吉「( ゚д゚)ポカーン・・・」という妄想上の会話があったら楽しいねぇ(あくまでも妄想です♪)でもきっと遊女たちとの会話の中で、いろんな方言を集めていたことは後からわかるのである。そして、さびの「キメ言葉」になる一言を探していたのだと思うのだ。しかし危なかったよ白秋先生。ここでキメなかったら、依頼を取り下げられちゃう寸前だったらしいのだ。とにかく、〆吉さんの華麗なる✨方言によって無事にシュババババっと書き上げられた「ちゃっきり節」。白秋先生は勢いあまってか、30番まで作っちゃった^^;ちやっきりぶしの歌詞 | なるほど情報 | 静岡鉄道について | 企業情報 | 静鉄グループ静鉄グループの総合ポータルサイトです。交通、流通、自動車販売、不動産、レジャー・サービス、建設事業を展開するグループ各社の商品・サービスやお知らせをご案内します。www.shizutetsu.co.jp残念ながら、一番以外の歌詞を知る地元民は・・・超少ない。それでよかったのか白秋先生。でも30番まで見てみると、静岡の地理、名物、天気、言葉…。ものすごく集めて研究していたことがわかる。そして遊女との会話もそのまま書かれているところが微笑ましい。♪明日来なけりゃ 手越の灸だ♪明日来てくれなかったら、手越(東海道安倍川を西側に渡ったところ)の寺(東林寺)名物のお灸をすえちゃうわよ♥っていう、可愛い意地悪ことばだ。それほど待たされているという女性の気持ちを歌ったものだ。おもろいねぇ。まぁ、こうして生まれたちゃっきり節ですが、最初は御座敷で歌われただけ。芸者歌手として大人気の市丸さんがレコーディングしてから、たちまち全国区で「ちゃっきり節」は有名になった。ちゃっきり節でかならず流れるあの美しい歌声の人だ💓しかも市丸さん自身も美しい。いろっぺー市丸さんのさびの部分は「きゃァるがなくんで」と歌ってますが、それだと「きゃある🐸」「…づらよ」以外は方言じゃなくなっちゃう。実際は「なくんて」がしぞーか弁です。あと、市丸さんのだとイントネーションが「しぞーか弁」にはなっていないのは仕方がないことです。北原白秋は「啼くから」と書きましたが、後から静岡出身の作家長田恒雄氏に「静岡では『啼くんて』と言いますよ」と言われて直したそうな…。正調ちゃっきり節は以下からどうぞ♪ちやっきりぶしを観る | なるほど情報 | 静岡鉄道について | 企業情報 | 静鉄グループ静鉄グループの総合ポータルサイトです。交通、流通、自動車販売、不動産、レジャー・サービス、建設事業を展開するグループ各社の商品・サービスやお知らせをご案内します。www.shizutetsu.co.jpこうして歌だけがどんどん有名になり、静岡民謡として(民謡じゃないけど)定着し、お祭りでは必ず流れ、平成ちゃっきり節まで出来上がり、現在では狐ヶ崎遊園地のPRソングであったことを知る人のほうが少ない。そして二丁町の遊郭遊びがあったからこそ生まれたということも、あまり知られていない。「実はちゃっきり節ってさ、静鉄のつくった遊園地のCMソングだったんだよね」って県外から滞在されている人だけでなく、地元の人に話すときに、「そうそう!知ってる~」という同意の意見より「うそぉ!」という驚きのほうが圧倒的に多いので、長々とブログに記してしまうのであった。あと、思うんだけどさわたしが子どもの頃に聞いたちゃっきり節の「きゃあるが鳴くんて」のエピソード。これ、作詞家の先生と「旅館の仲居さん」とのやりとりにされてたwwしかも作詞家の先生がなかなか歌詞がうまくかけなくて悩んでて…っていうエピソードがあり、自分のなかで映像として記憶に残っているのが、文豪が文机に向かって頭をくしゃくしゃってやって悩んでいる場面。これ、なにかテレビでやってたんじゃないかと思うんですよね。なんか、あまりにも事実と違うよね?てか、なんか隠されてたよね?ChatGPT - 北原白秋と二丁町Shared via ChatGPTchatgpt.comわたしがこれを聞いた子どもの頃、静岡に遊廓があったなんて、語る大人はいなかった。静岡の遊郭二丁町というところがどこにあったか、ちゃんと教える人はいなかった。多くの大人は記憶からわざと消そうとしてた。でも、そういう時代だったのかな。わたしだって、あの頃のまま大人になっていたら、遊廓のことを、二丁町のことをまるで汚らしい存在として見てしまったのかもしれない。いろんな方向からの情報を与えてくれたのは、杉浦日向子先生の漫画だったり古典落語だったり、旧道歩きである。それを経て遊廓の情報がはじめて立体的に見えてくる。▼この本もありがたかったのです…【中古】 静岡の遊廓 二丁町/小長谷澄子【著】楽天市場人々が俗世界に生きるのは、何にもおかしいことではない。ストイックに生きることだけが褒め称えられる世界は、歪んでる。ただ忘れてはいけないのは、花街に生きた女性達は自分がなりたくてその世界に入ってきたわけではないことだ。華やかさの反面、闇の面も渦巻いていたのは確かだ。それでも、そこに生きた女性達は強く美しく、時折弱くだったがその短い人生を歩んだ。わたしはそこで働いた女性たちを尊敬する。誰でも、どんな人生であったとしても「可哀想」だなんて思ってほしくない。自分の人生を勝手に哀れみの目で見られたら、それは一番酷いことだ。彼女たちはどんな生き方であろうと、誇りを持って生きていたのだ。そう信じている。たとえ「あたしなんか…」と言おうとも私はそんな風には見ない。二丁町がなかったら、「ちゃっきり節」は生まれなかったのだから。ちゃっきり節にふれよう日本平ロープウェイ駅の併設広場に「ちゃっきり節民謡碑」があります。Google MapsFind local businesses, view maps and get driving directions in Google Maps.maps.app.goo.glあと、日本平ロープウェイの日本平駅構内にあるレストラン、「はなあおい」店内に、ちゃっきり節のことが展示されてます。