2/16確定申告訂正に行った日、実家から植村家の戸籍謄本を取り寄せてもらいまして…いざ確認したら、私は叔父、伯母(叔母)の代しか解らない…父の兄弟もよく解らなくて…今後の為にも父がしっかりしている(生きてる)うちに聞いておかなきゃ❗と、2/22の夜.母に

「戸籍謄本の事を父さんに聞きたいから明日(2/23)そっちに行ってもいい?」とLINEで聞いたら「おいで」と

「いいよ」

と言ってくれたので、長男と二人で実家に出勤くらいの時間に出ました。

 

 買い物してから実家へ。昼食に焼きそばを食べようと材料を買って行きました。

 買ってきた私が責任を持って作る事に…私に作らせるのか…。


 実家で、計画有休と一斉有休をまとめよう…と準備し行ったのに、深刻なな問題が発生した件で話し合いに…。

 その後に戸籍謄本を取り出して父に聞きました。

 一番最初に記載されてた人は「植村松吉」。父が子供の頃は「松吉の家の子」と覚えられてたそうです。

 その松吉という人物…文政4年生まれ…江戸後期。残念ながら私が知りたい植村啓六の次の代の人物でした。

 国によって封印された「壬申戸籍」というものが関係してるのでしょうか…?





 松吉の子…何と養子…この人物は天保の時代に生まれたみたいびっくり名前を何と読むのか解りません…どなたか読める方がいらしたら教えてください。

 本郡小川村…多分現在の鳥海町小川の三舩家の三男と記載されてました…となると…私(達)の直接のルーツって…鳥海町からって事かな…。

 父に聞いたら、子供がいなくて養子を迎えたって聞いた事がある、と。

 …今のタイミングで戸籍謄本を取り寄せなければ永遠に解らない事でした…。

 それもビックリでしたが、長男として存在する父は本当は三男で、長兄、次兄は亡くなっている、と。

 戸籍に父の前に知らない名前が2名いたので聞いてみました。ずっと前に「俺の兄弟二人亡くなってる」と言ってたのを思い出しました。私の伯父になるはずだった人物…。

 それ以降はある程度「この人は○○の○○」とご丁寧に解説を付けて説明してくれました…試したわけではないけども、頭はしっかりしてました…ボケてない…よかったぁ…☺️

 戸籍上は植村家の子供だけど、本当は違うんだ…という人物も1人いました…どういう事でしょう…?詳しく話さないとなると、いい話ではないでしょう…あえて追求はしませんでした。

 私の箇所までは全て手書き…次女、三女はタイプライターで打ったような文字…私と次女では4年しか違わない…私の時からタイプライターに印刷出来ませんでしたか?💢ちっちゃい文字で、しかもずらした文字…ヒジョーに読みにくい💢

 きれいに書ける人に書いてもらいたかった…先祖の戸籍の文字なんか見られたもんじゃない💢とにかく文字がちっちゃい💢

 よく解らないのが、実家の番地。66番地なのに松吉の代では56番地…養子を迎えてからは66番地になってる…これってヒューマン・エラー…?

 昔はいい加減だった?困ります❗

 寺に行って過去帳を見せてもらう以外は調べる術もなく…THE ENDです。

 

 もう1つ、私がここの植村家、分家だったんじゃない?という父に聞いたら、元々本家の者が都会へ行くというので、後に私んちになる植村家(分家)を本家として任せると託されたそうです…そんな事出来る時代なんだ…。

 それが誰なのかは父も解らないそうです…。

 亡くなった祖父は父にいろいろ教えてたんだな…。昔話をするような祖父が想像出来ない…父はそれをよく私が聞く今まで覚えてたもんだ…。

 …戸籍謄本、見ごたえありますよ…自分の知らない事を知るって、すごく感慨深いものがあります。

 6冊分の戸籍謄本で4,500円でしたが、支払った価値は充分にあると私は思いました。


 松吉と繁蔵の間に上記の写真の読めない養子の人が入ってました。この人物の存在は父もよく解らないようでした。啓六、松吉、繁蔵、啓蔵、父…父は自分を5代目だと思ってたようでした。

 また不明な事が発生…松吉の父の名前…植村太平…あれ…?植村啓六の存在は…?

 もしかしたら本家が植村啓六で、後の私んち(分家)に本家を任せた本人なのでは…?

 じゃぁ、旧小出小学校の第6代校長「植村啓六」は…?

 訳が解りません…頭の中が混乱してます…何なんでしょう…? 

 …この世に詳しく解る者がいない…。