たぶん、どちらも間違い。自力本願という概念は、本来は、御浄土でお釈迦様になるには、現世での修行や行いにより、決定されるので、生きている間に自力でかなえられる様に善行修行せよというのが、自力本願で、そうではなく、お釈迦様のおかげで成仏するのだというのが、他力本願。
ただ、以上のことを理解しようと考えると、現実での行動についても類推的に考えられるということだろう。
つまり、神様や仏様に、私は、こんなに努力しているのだ、歯をくいしばっているのだ、しかも、毎日の祈願も欠けることが無い、だから私を助けてね。力を与えたまえ。という発想は、他力本願的に見えて、実は自力本願のように思える。
なぜって、自分の努力を神や仏に報いとして願うというのは、自力としての努力を成功へ引き換えてくれと神や仏に無理強いしているように思われるからだ。
翻って、神や仏に、自分の努力の対価を求めることも無く、無心で心で手を合わせ、己の考えと行動を現実にぶつけて生きる姿は、無意識の中に、神や仏が宿っているので、他力本願的に思えるのだ。