
「時」の
長さや
流れを
感じて生きているのは
ヒトしかない。
待っている時の5分間と
愉しく飲んでいる時の5分間は
違う。
時間という定義の上では
同じ長さだけれど。
音楽や芝居などでは
一瞬を
表現するときでも
何分間も
時間を掛けることができる。
↑これは
さっきYouTubeで
去年の秋の『ヨルタモリ』を
観ていたなかで
話されていたこと。
深いなぁってね
思って
「時」って書いてみた。
Wikipediaでは…
時間(じかん)は、
出来事や変化を認識するための
基礎的な概念である。
芸術、哲学、
自然科学、心理学などの
重要なテーマとなっている。
それぞれの分野で
異なった定義がなされる。
って記されていた。
そこには
砂時計のことも
書かれていて
上部が“未来”
砂が落ちた
下部が“過去”
通過する
くびれの部分が
“現在”だと。

人生の砂時計は
未来の砂が
過去へ落ちきってしまった時点で
The end
だけれども
砂時計を
リセットするときのように
人生の中での
やり直しは
いつだって出来る。
様々な大きさの
いろんな砂の色の
砂時計が
人それぞれに
用意されて
いるのかも知れないって
わたしは思う。
『感じる書』アーティスト 石川呼穹
