“木”を

己の“目”で

じっと見つめる。

そのようすが“相”。

心に

相、対することが

その気持ちが


「想」

に、表されている。




朝方
変な夢見たんよね…



場所は空港。


書塾の姉弟子ご夫妻や
他の塾生数人で
海外旅行に行くのにみんなで
空港に向かっていて


わたしは
古いパスポートのまま
しかも更新し忘れてて

多分行けないなぁ…って思っていて
(うん。それは絶対に行けない)

それをみんなにいつ言おうか
空港に着いてからも言えずに
いる自分…


って夢。


起きてからも

何でそんな大事なこと
言えへんねん?


自分のことにムカついて
自分にダメ出ししてた。

夢なのに(笑)

ま、本当にパスポートの
期限は切れているんだけどね。

とっくに。



どこかへ遠くへ(近くでも)
行きたいんよね。


でも、心のなかで

今は行けないって
ずっと思ってる。


↑だからここ数年
まともに
大阪から出て行けてない。

至極当然。
(苦笑)

来年こそは
またいろんなところに
出かけたいな。

それをするには?って

この夢を見てから
また
自分に問いかけている。

むしろ

既に

旅をしている自分を
想像することも

大事なこと。



でね、

このところ

少しずつ

部屋を片付けているのだけれど


なぜ
そんなに物を処分できないのか?

って考えたとき

その物に 

その当時の
それぞれの
想い出があって

目につく毎に
思い出してしまうから。


そんな時間すら
許されないときには
(引っ越しを迫られていた!)


片っ端から 

捨ててゆくしかなくて

捨てて後悔したものも

あるのだけれど…(苦笑)



捨てはしないのだけれど


過去の作品で
まだ手元にある物を
確認する作業においては

書いた頃の想いや

手にして

今に至る自分を振り返る。



その想いに耽る自分。

初心までも
包括しながら

如何に次に明確に
歩むべきか?


想いは果てない。


そして
そんな想いは
夢にも表れる(苦笑)


そこかしこにそれは在る。


また

何かと見た夢にも

日頃の「想」いが

集約されているのだ。




『感じる書』アーティスト 石川呼穹