解りたくても
解らない。

解ってもらいたいのに
解ってもらえない。


話は
いつも
同じように繰り返し

繰り返されて
平行線。


そんな
日が続いた。




一軒家のなかで
窓も戸も閉めきって

声も極力荒げることを控えてても


外に聞かれたくないと言われ


車で人気のないところで
話をした。


挙げ句に

「もうその話は止めよう」

と、何度も言われて

うやむやには
したくないわたしと
いつももめていた。


お互いに
「解ってもらいたい」気持ちで
いっぱいだった。





離れてみて


そこを避けるのではなく

自分のことを
自分のやり方で
対処する。


しんどいことばかりに
フォーカスせずに

何が今の自分の
幸せなのかを

夫は身をもって

教えてくれている。
(極々自然に)


彼の中の闇の部分
辛い部分は
基本変わっていないし

そこを敢えて口にしなくなった。



蓋をすることに
わたしは少し心配しながらも


何かできることは?

口を挟むことをやめた。


辛い部分は
辛いと思うことも
その選択すら
自分にとって“楽”な選択だからだ。
(辛いことだろうけど。ほんとに。)


わたしがアレコレ言ったって
人を変えることはできない。


そのかわり
何のことで
幸せと感じられるのか?

そこに目をやった
と、いうか

自然と
それを求めている
夫は
わたしに
(彼が思っていることを超えた)
別な形で
いろいろと教えてくれている。







わたしが
喜んで
日々気持ちよく
ただ
ご機嫌に過ごしている



夫はそれだけで
嬉しいようだ。

多分。




今日

勤め先で

「愛は消えるもの」

「お金さえあれば」

人生いろいろを
そんな表現で語る人の言葉に
そう思わざるを
得ない状況下でも

今在るもの

今得られているものからの

幸せって

なあに?

って
思ったのだ。


それを

言葉にしてはいないけれどね。(苦笑)


洗濯物を干しながら
ベランダからの
力強く光輝くお月さまを観ながら

今の自分の
幸せについて

ちょっと考えてみたんだ。



そうしたら

足りないと思う部分はどこか?も

ナイ、ナイと

言うところではないって
今更ながら

確信した

そんな中秋の名月の夜。


眠いけど

忘れたくない大事な感覚だから

備忘録的に

書き記す。



『感じる書』アーティスト 石川呼穹