呼穹ノオト cokyu note-IMAG4570.jpg

この人は

自分の鏡のような存在だと

感じることは

多いと思う。


もしわたしが

だれかに

見せている姿によって

気付いてもらえていることが

あるのなら

それは結構なことかもしれないし

それがわたしの

いいところからなのであれば

単純にうれしい。







だけども

反対に

それが

わたしの至らないところからなのであれば

単純に残念だ。



…というようなことを

感じているわたしも

その人を

鏡として見ているのではないか?



面と向かって

言われてみて

それは

親切でありがたい

ようで

やっぱり人間だから

実に複雑。



というか

どう感じてもらっても

そんなもの

「残念」と思う

必要すらないのだけれど。



そして

いちいち反応する

わたしはとても残念な

ヘタレキャラだったんだな。






出逢う。


わたしを映す人。

わたしが映し出す人。
(6月22日FB より)


今日のちいさな一文字。



『感じる書』アーティスト  こきゅう