$呼穹ノオト cokyu note-IMAG3162.jpg

玄関を入ってすぐの所に

半切サイズ(1363mm×348mm)の

額を掛けてあるのですが

友人が訪ねて来てくれたおかげで

久しぶりにその額の隅々まで

念入りに拭いてみることにしました。



思っていたより汚れていなくて

薄汚れて見えるのは何故?と思っていたら

一部、紙が古く変色してきていたからでしたー(苦笑)


『此中有真意』



直訳すると…

真実はこの中に有る。



これは師匠に就いて

書を始めて初の書塾展に出した作品。


漢詩の中の一節(五言)を

書くことになり

読みや意味を知っていたつもりでいましたが

あらためて今

調べてみました。


 $呼穹ノオト cokyu note

                酒を飲む

         いおりを構えているのは、人里の中。
         しかもうるさい役人どもの車馬の音はきこえて来ない。
         よくそんなことがありうるものだね、と人がいう。
         こせこせした気持ちでいないから、土地も自然とへんぴになるのさ。

         東の垣根に菊を折り取っていると、ふと目に入ったのは南の山、
         廬山の悠揚せまらぬ姿、それをわたしはゆったりと眺めている。

         山のたたずまいは夕暮の空気の中にこの上なく素晴らしく、
         鳥たちがうちつれてあの山の塒(ねぐら)へと帰ってゆく。
         ここにこそ、何ものにもまとわれない人間の真実、
         それをねがうものの姿が、私にはよみとれる。

         が、それを言いあらわそうとしたその時には、もう言葉を忘れてしまっていた。

                   (一海知義「中国詩人選集・陶淵明」より)


実はわりと街中に住んでいるのに

余裕のあるノンビリした気持ちを持っているが為に

まるで人里離れた山奥で暮らしいるような境地になれる…

心の持ちよう次第。

…というわけなのです。



まだ

「呼穹」の雅号をもって

活動を始める前の

初々しい?!と言ってもいい頃の作品。


当時結構奮発して作った

塗りの和額に作品を入れ

展示が終わったギャラリーから

搬出の時はこれを大事に抱えて

電車とバスに乗って帰って来たなぁ…


あぁしっかりあの時のこと

覚えています。



あれやこれやと

なにかと一緒くたに

考え込んでしまう性質であるわたし。



心の持ちよう次第。




無我夢中で書き上げた

あの日の気持ちを

忘れないように

ずっとここに掛け続けてきたんです。




でも日常の生活に埋もれすぎて

普通になりすぎて存在を

忘れてました。



今見たら

上手くはないけど

「上手く書こう」なんて

当時

思っていなかったと思うんですよ。



今はこんなくらいだけど

もっとそのうち自分らしさを出していける!

って感じながら筆をとっていて

思うように書けないことですら

楽しんでいたのかも。



こうしたら

よく見えるんちゃうか

とか

要らんことを

頭の中で考えていなかった…



10年以上経って

今の自分はどれだけのものなのか?



紙に向かってもちっとも

思うように書けない…


とか言うわたしって

なんて贅沢なんだろう。



いろいろぐるぐる感じる

今だからこそ

誰よりも

弱っちくてダメダメな

心の内をも

まるごと認めて

他人が何を言おうが

もっと楽しく心豊かに!と

紙に向かいつつ

やっとこさ

新たに作品を書き始めている

この頃。



書かないと

わたしじゃなくなる勢いで

なーんや

わたしの作品

めっちゃ素敵やん!っていうの

出来たら

いちいちUPしていきますんで

よろしくお願いします。





『感じる書』アーティスト こきゅう






お店やオフィスにも
しっくりくる
堅苦しくなく
インテリアにそっととけ込む書。

$呼穹ノオト cokyu note


ご依頼・お問い合わせは

わたしのホームページよりどうぞ。


『らぶしょbyこきゅう』

http://www.cokyulovesho.com/