子の安全基地になれない親子供が親とは全く違う別人格であると認められない親は子供にとっては親は安全ではないという認識をもてるかもてないかが自我を取り戻す境目となる?と思ったりする。自我を奪う親と過ごすよりたとえ土管で過ごしても気分が落ち着くなどは土管が安全基地であるという認識になるがちょっとそれって周りが何と言おうが本人が安心だと心の底から思えたら安全基地として役目は果たすのだろうと思われる。