誰かに夢中になるということ | 2次元に恋するブログ

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ぽけ森記事多めです。

「明日わたしはだれかの彼女」というドラマに


推しにお金を費やしたのに

推しに彼女がいて


ひどい!

裏切られた


とか言って


買ったグッズも

投げ捨てる状態が



いまの

羽生くんの事と

だぶるような、気がする。



わたしたちは


だれかに

夢中になる権利もあれば


ちょっと


なんかすれば


飽きたりして



当たり前のように放棄する権利も

同じくあるという事。



飽きたりして

見向きもしなくなっても



羽生くんは

文句を多分言わない。



けれども


明日カノのように


裏切られた!

とか


グッズをメルカリで売り払い

ファンをやめて

スッキリする



限りなく


自由である


というのに

ファン故。



何かや誰かに夢中になれない人から

みたら


それすらも

羨ましい


となるんでしょうけど



たしかに


支えになって

元気をもらえた時間は確かにあった


それは

羽生くんだって同じ事



権利


という言葉が浮かぶけど



義務はない。



ただ、


お金を払う

払わない


でいうと


怒りや迷いの苦が生じてくるのは


あなたの心が

苦を求めているから



という仏教の教えみたいなものが

浮かんでくる。



とりあえず

わたしは

グッズも購入していないので


写真集くらいかな、、



裏切られたとは


言えない。