7月末に熱が下がらなくて施設から病院に移動して診察したところ誤嚥性肺炎と診断され、精密検査をすると肺の片方は誤嚥物で機能していない事が判明。口から食べれない状況。
ドクターから「胃ろう」「点滴」「何もしない看取り」の3択を迫られました。
元気な頃からチューブに繋がれて生きるのは嫌と言ってたので、2〜3年生存の可能性が有るけれど「胃ろう」は無し。
「点滴」なら2〜3週間生存可能であるが、水分で身体が浮腫み、それが肺に流れ込むと機能している片肺まで水が溜まり息苦しくなる可能性が高いとの事。
最も苦しまない方法は、栄養も水分も止める「看取り」という結論になりました。これだと早ければ2〜3日。通常1週間。長くても10日位で植物が自然に枯れるように逝きますと‥‥
親の死期を決めるのは精神的にかなりキツいものが有りました。
エクセディも長野&東京合宿がありましたが、今回は不参加を認めてもらいました。病院の、コロナ対策のため面会も制限されたけど、可能な限り会いに行き声をかけ続けた。
もし体調に変化有れば夜中でも連絡します!と病院から言われてたので、地元から出る事も無く、夜中も、入浴時もスマホを肌身離さず緊張の毎日。
ネットで検索したら、点滴も水分も止めたら、やはり長くても10日位と有りましたが‥‥なんと19日も頑張ってくれました。
状況を知ってる方からは「家族葬」でもう済ませたん?と聞かれる始末。
充分に心の整理が出来る時間を作ってくれました。
8月27日、夕方に病院から急に血圧が低下したので至急病院に来て下さい!と電話。
ダッシュで駆けつけたら、そこからまた1時間程頑張ってくれました。
看護師さん曰く、最後に残る感覚は聴覚だそうです。
耳元で好きだった「アリスのチャンピオン」という曲を流して、今までの感謝を伝えました。
手を握りながら、何度も何度も感謝を伝えました。
その時、本当に母の左目から数滴の涙が流れた。
それから、ゆっくり、安らかに、苦しむ事なく、人生を優秀な成績で卒業していきました。
大型の台風が来ている中、予想以上に盛大な通夜と告別式で送る事が出来ました。
日本卓球協会から全国都道府県卓球協会へ一斉送信が有ったので、昔の知り合いからも連絡が来ました。
高速道路が通行止めで、下道を使って静岡県からも駆けつけてくれた方もいます。
名張市長をはじめ県会議員や実業団、大学の卓球関係者、ママさんの生徒と懐かしい顔ぶれ。
大阪樟蔭とエクセディの同窓会の様な雰囲気も。笑
故人の偉大さを実感しました。
とても敵わないな。
とりあえず子供としての責任は果たしたかと思います。
もっと親孝行したかった。