お久しぶりです。生きてます


いや、本当に生きてると言えるのか?

ただ肺を動かして呼吸しているだけの人間を生きていると言えるのか。何の目的も願望もなく、ただ日々の出来事をタスク処理のごとく感情を殺してこなす日々を本当に胸を張って生きていると言えるのか?


なら、死んでますね…


という、自問自答パートでしたがマジで何やってるんだ感が否めない日々です。

別に仕事がとても辛いとかそういうのではなく、ただ選ばざる終えなかった運命のロードを踏みしめている日々に虚無感を感じるのです。(虚無感を感じるという日本語は現代文的にはナンセンスですね)


未だに消えぬ学歴コンプレックス。

職場は私のような無能は所謂障害者雇用でしか入れないような、入社難度が高い場所です。

当然、周りの人達は私より一回りも二回りも頭も要領も良く学歴もそりゃー国立だらけです。

まるで推薦入試ですねw

学歴フィルター的に言うと私も弾かれはしませんが、社内では最底辺です。


別に障害者雇用ですし、健常者と同じようなものを求められているわけではないでしょう。

けど、障害者だからと言って皆が皆劣等感を感じていないわけではないと思うのです。

いや、私だけかもしれんが…


明らかに知能で負けているという自覚を毎日受けていると、何だか乾いた笑いが出ますよね。


そんな私も帰り道にある本屋に行けばやはり学習本を手にするわけです。先週はあぁ~国立行きたかったなぁと赤本を手にしました。


阪大の英語と摂南及び京産の公募推薦の英語を見比べると難易度が劇的に違いました。

ドラゴンボールで言うと、フリーザとチャパ王位の差でしょうか?(皆が皆、ドラゴンボールを読んでると思うなよオッサン)


まぁ関関同立未満の私立な上に公募ですから、長文英語と言ってもお察しなわけです。

逆に阪大の長文英語はそれはもう長文も長文、読んでる内に序盤の内容忘れそうな位長いです。


設問に至っても問われているレベルが違う。

こうなるとやっぱり賃金の差も当然出てくるよね…って感じです。

同じ人間とは思えない知能の差、競争社会である以上優れた者がより多くを獲得するのは当然だが、何か分かってたけどショックです。


阪大に行った奴より私の方が勉強したんだけどな…フフフッセックス!(やめないか!)

ってテンションです。


貴様には分かるまい!私立を滑り止めとしか見ていない貴様には!この俺の前身から湧き出る苦悩は!


こんなんでも、何か勉強したいという気持ちはまた芽生えてきているんです。ただ、私が精神が粉砕するまで努力したところで底辺私立しか行けなかった事実がその好奇心を邪魔する。


努力してこなかった人が羨ましい。

なぜかって?言うまでもない、自分の可能性を信じられるからだ。逆に私は100%の努力を越えた歪みで倒れてしまった。(俺もこっちで勉強しすぎたからな…)


自分のパラメータの限界を知っていると、新たな知見を手に入れようと勉強してもその先が見えてるのでどうにも萎えるんですよ。


どうにもならない人生はどうでもいいと言い聞かせるしかない。結局ここに至るわけです。

足るを知るというか、田舎生まれが都会を知らずに田舎も悪くないと言ってるようなもので。


何の話をしているんだ?とお思いでしょう。その通りです。私の書くことに意味などないのです。私の人生に意味がないように…