お久しぶりです。生きてます。
最近は心を無にして生きてます。
こんなタイトルだと何か特別嫌なことがあったか?と思われるかもしれませんが、特にありません。
強いていうなら生きてることが嫌な状態が10年以上続いてますが、それは以前からです。
以前と変わってきたところと言えば、もう何も期待しないようにして生きるようになってきています。
かつて私はもう何十回もブログに書いているように、努力さえすれば報われると信じていました。報われると期待したから病人になってしまった。
別に努力だけではない、学生時代は家庭環境も凡そマトモとは言えませんでした。でもそれは私が悪いわけでも社会が悪いわけでもありません。運がなかっただけなのです。
ASDの傾向があることも鬱になったことも、ただ運がなかっただけ。逆に運があったら今頃私は検察官です。
才能も環境も全て運。心と身体が壊れるまで努力したからこそ自信を持って言えます。
偶々学問の才能がなかっただけで、スポーツの才能ならあったのでは?と考えても、では日本で1番野球の努力をしたとして私は今WBCのマウンドでボールを投げることができたか?と問うと勿論それは無理です。
世の中には100日かけないと出来ないことを1日でやってのける人が居ます。そりゃ嫉妬はしますけど、その人が悪いのではありません。運の問題だと思うのです。
先程WBCを例に挙げましたが、そういった優れた人が一般市民に勇気と希望を与えているのですから全然良いことだと思います。
ただ、皆が皆一般市民で満足できるかというとそうではないのも事実です。少なくとも、私は満足できません。というか私は一般市民にすらなれてませんが…💧
自分に、人に、政治に、世界に、期待するから辛くなる。そう考えて諦観の中、生きていたらアッという間に今週が終わってました。
思い返せば10年前、中学生の時には既に死にたい願望がありました。でも死ぬのは怖いですし、舌を噛み切ろうとして失敗して血だらけになったこともあります。
結局、生きないといけない。どんだけ辛くても親が生んでしまった以上、死ぬのが怖いのなら生きなければならない。
自称するのはどうかと思いますが私は弱者なので、国からの援助を沢山受けています。けれど、そんな援助を受けるのではなく高額納税者になって「税金高すぎる!」と国に文句を言えるような人になりたかった。
でも、そんな愚痴を吐いていると助ける側も嫌気がさしますよね。流されりゃ優しいこの町も欲をかけばポイと捨てられるわけです。
何が言いたいのか纏まらないけど、愚痴が言いたいのは確か。アレ?諦められないから愚痴が出るのでは…ハハハ…
まぁ周りに迷惑をかけず、如何に楽な考え方で生きれるかを追求する。そして寿命が来るのをジッと待つ。
ただそれだけです