本願寺堺別院から次は、本受寺へと向かいました。本受寺は、本門法華宗の寺ですが、肥前大村藩の家臣で、慶長から元和(1596~1615)にかけて、徳川幕府のもとで海外渡航の朱印を受けて、度々、渡航し、徳川家康に海外の様子を報告したとされる西宗真が、元和二年から堺に居住した折に西家の菩提所となった寺です。

本受寺
本受寺

本受寺説明書き
本受寺説明書き

境内には西家の巨大な五輪塔の墓碑があるとともに、寺の奥庭には「キリシタン灯籠」があり、宗真、洗礼名ルイスがキリシタンであったことを物語っています。住職の方にお願いしたところ、快く中を見せて下さいました。

西家の墓碑
西家墓碑

ルイス西
墓碑の但し書き

キリシタン灯籠
本受寺奥庭の「キリシタン灯籠」

本受寺を参観の後は、道路を渡って斜め前にある妙國寺へ。ここは、日蓮宗のお寺ですが、寺の紋章に菊の御紋が使われていることから分かる通り、天皇や上皇の発願により国家鎮護や皇室繁栄を祈願するための祈願所でもあります。境内の大蘇鉄には、伝説があり、織田信長の所望により安土城に移植されたものの、毎夜、「堺に帰りたい」と泣いたために再び堺へ戻されたといいます。樹齢1100年のこの大蘇鉄は、国の天然記念物にも指定されています。

妙國寺
妙國寺と天然記念物の大蘇鉄

また、妙國寺は、攘夷論さめやらぬ慶応四年(1868年)に起きた土佐藩士によるフランス軍艦水兵殺傷事件、いわゆる、「堺事件」(「泉州堺事件」とも呼ばれる)の舞台となった場所でもあります。町で狼藉を働いたフランス軍水兵を、警固に当たっていた土佐藩士が銃撃戦の上、射殺、あるいは、海に落として溺死、負傷させてしまい、外交上の問題となることを避けるため、その責任を取って11人の土佐藩士が切腹しました。寺には彼らの遺品も残されているそうですが、拝観料が400円かかるということで今回は、境内を少し見せて頂いただけにしました。妙國寺の近くに高知名物「あいすくりん」(アイスクリームとかき氷を混ぜたようなもの)を売っているお店を見付けましたが、「堺事件」の土佐藩士にちなんででしょうか。(^◇^)

堺事件
「堺事件」描いた絵

土佐藩士供養塔
責任を取って切腹した土佐十一烈士供養塔

註:「キリシタン灯籠」とは、江戸時代の茶人、古田織部が好んだことから「織部形灯籠」とも呼ばれ、全国各地に点在していますが、石竿部分に十字架模様や石像が刻まれており、キリシタンは、この石像部分が聖母マリアを表しているとして信仰したことからキリシタン遺物と見なされてきました。しかしながら、実際には、石像は、地蔵菩薩であるとして灯籠をキリシタン遺物と見なすことを否定する学者もいます。

「堺市探訪 4」に続く。