若い世代の皆様へ
千葉児童5人死傷
千葉児童死傷事故
千葉トラック事故
千葉のトラック暴走事故
「千葉の」と報道されています。千葉人として恥ずかしいやら申し訳ないやら、そんな気持ちを抱かされます。
「飲酒運転をしてはいけない」というのは昨日今日始まったことではないですが、「始まった時」というのが実際にはあったと思っています。
とはいえ、「いまだに」飲酒運転をしている愚か者がいて、そんな者に家族を奪われたり傷つけられたりするのは堪え難いと思います。
私が20代の時は日常的に飲酒運転がされていました。「誰もが」とまでは言いませんが、私の周囲では当たり前で咎める人も殆どいませんでした。
唯一、お酒を飲まない私の父から注意をされたことはありますが、それも今思うと「一応ポーズだけは」という感じで厳しい父の割にはかなり緩い注意だったと思います。
2006年の事故の影響もあり、2007年に飲酒運転が厳罰化されました。当然、事故も2006年の事故に始まったわけではないと思いますが。
「厳罰化」も大きな理由ではありますが、その要因となった事故被害者遺族の悲痛な訴えも私達に届いていたと認識しています。
要するに、厳罰化だけではなく、被害者遺族の悲痛な叫びもそう、勤め先から厳しく指示されているからとか、嫁さんに言われてるからとか、それぞれの環境に合わせて理由をつけて、飲酒運転を辞めていったのです。
そう、私達は「飲酒運転を辞めた」世代なのです。
ただ「既存のルールだから」という理由だけではなく、それを裏付ける背景や経緯を知っているのです。
失礼な話、そんな経緯を知らない若い人が飲酒運転をしようとした時には私達世代が教えて差し上げなければいけませんでした。
が、その教えるべき世代の者が未だに飲酒運転をして、更に命を奪ってしまうなら・・・前言撤回、もう私達には教えて差し上げる権利も義務もなくなりました。今回の事故を知って、彼を蔑視すればそれだけで良い話かも知れません。
良くも悪くも当時より情報は溢れてますから、リアリティは感じてもらえるはずですね。この際、情報の精査も必要ないかも知れません。
少し話を戻すと、私達が飲酒運転を辞めた頃・・・幸いにも私の仲間たちは暗黙の了解で辞めていました。信頼している仲間の一人がしないのであれば、もう必然的に「だよね」ってなるだけです。
ただ、逆に普段一緒ではない仲間が加わった時に「いや、近くだから大丈夫だよ」と運転して帰ろうとしたこともありましたが、全員が死守します。最終的に「歩いて送ってやるから」と文字通り同じ道を歩くのです。
コロナ禍の自粛もそうですが、結局周りの人間の影響は大きいということですよね。わかりよく言えば時代錯誤の昭和イズム上司が中心となってコロナ禍の宴会や会食は行われているのでしょう。
全く話が逸れますが、私の父は現役時代も家で仕事の話をすることを嫌っていました。私も10代後半まで父が何の仕事をしているか知りませんでした。
実際には真っ当な電器関係の営業職だったのですが、常に言っていたのは
「事業所で所有する車が5台以上の場合安全運転管理者が必要で、オレはその安全運転管理者だから・・・」
何千回と言ってました。営業部長なのに営業に関する話ゼロです。彼には「営業部長」という肩書より「安全運転管理者」という肩書の方が誇りだったようです。
周りの人間と、そんな父にも恵まれたのかも知れません。
父は健在です。
都月範之