更今
2022/05/27
こまごめわいわいほーる
セットリスト
1.作家の顛末
2.キミの恋人
3.悲しき人生
4.乙女心
5.カラス
一週間経ちますね…
久々の駒込、久々のライブ。楽しみにしていたのですが…
当日、部屋で掃除機かけてたらギックリ腰ね。
感慨に浸る余裕は無かったです。
勿論ステージに影響はない。
(…いや、感慨に浸れてない段階で影響出てるだろ…)
が、終わってからはしんどかった…気絶レベルね。
楽しく出来たからいいよ。
とは言え…今後のことは考えなきゃな。
まぁ、まだライブやらないけど…
でも、やっぱりフィジカルなライブは時計の針が動くんだな。
会いたい人は、たくさんいるんだ。
会いに行ってないオレが悪いだけか。
はい、善処します。
都月範之
時系列が前後しますが。。。
先月、某都知事が過労でダウンされましたね。
もう彼此れ一年以上、終わりの見えない対応に追われているのですから不思議ではないと思います。そういえば途中で選挙もありましたしね。御自愛頂ければと存じます。
(「某」って付けたけど国内に都知事って一人か…)
ただ、一年以上終わりの見えない対応に追われているのは百合子都知事だけではなく、医療従事者皆様を始め、エッセンシャルワーカー、エンタメ業界、そして飲食店…なので要するに、ある意味身を以て示してくれた最たる例なのではないでしょうか。そのお姿から私達は教訓を得なければなりません。
そこに来て、飲食店に金融機関や卸売業者経由で圧力をかけようって…流石に撤回して頂けましたが、正気の沙汰とは思えません。最早「弾圧」、国民の心象は最悪です。
いつも目的が少しズレている気がします。「感染対策」から「要請に従わない者への圧力」に変化してます。勿論「結果として感染対策に繋がる」「その方が秩序や公平を保てると思った」と言いたいのはわかるのですが、その安直さを以て「政治」と言うならこの国は終わってますね…別に然程愛国者でもないので結構ですが。
あの大臣さん一人で決めた事ではないと思いますが、あ○うさん同様に常に半笑いのあの方は皆んな嫌いになったでしょうね。躊躇とか、せめて芝居とかないのでしょうか。まぁ躊躇したら糾弾の的でしょうけど(笑)
もしかするとあの方々は、国民の神経を逆撫ですることによって大義に対する達成感を得ているのでしょうか。
まさか、私の狭い了見で思い至る限りではないと願います。
フルスイングで話題を変えますが、最近カセットテープのブームがあるらしいです。なんなら新譜をカセットテープでリリースする人もいるとのことです。
私達世代は…軽い悪夢です(笑)なのでびっくりしました。
カセットテープの良い所は、「生カセットテープ」に好きなプレイリストを録音できるとか、鉛筆を入れてクルクル巻き戻すとか(笑)レンタルCD借りてはカセットテープに録音したり、ラジオをタイマー録音したりしてました。
良くない所があって、結局テープにヘッド擦ってるので、テープの質や再生頻度によってテープが伸びてしまう。そうするとピッチ(音程)が微妙に下がる。当然音質もどんどんこもってくる。曲の頭出しも「再生ボタン押したまま巻き戻し」でヘッド擦ってるし、そもそも頭出しに時間がかかる。
ただ、どうやらこれは「生カセットテープ」の話で、製造段階で音源をレコードしたテープはかなり音が良い!という話になってるらしいです。
そこが驚きで、私は音源が入ったカセットテープを買った事がありません。幼稚園くらいの時に親にホームセンターでアニソン特集みたいなカセットテープを買ってもらったのが最後の記憶です。
また、90年代後半にクラブミュージックブームの影響でアナログレコードブームがありました。その際にも、新譜をアナログレコードでリリースするアーティストはいたので購入しました。
アナログレコードの音は好きです。少しレンジ(音域)は狭いかなとは思いつつも、音のリアリティ、距離感で言う「近さ」がCDとは全く違いました。
更にいうと、レコードの溝、要するに針が音を出すための振動をプログラムした溝は、顕微鏡で見ると結晶みたいで美しいらしいです。ちなみにカセットテープは音飛びは無いけど、CDとアナログレコードは共通して音飛びが有るというのが面白いと思ってます。
で結局、「いや、カセットテープじゃなくていいかな…」というのか個人的な本音です(笑)スマホでハイレゾでも聴きますよ、私はそっち派です。
だからなんだって(笑)
BGM:Ordinary Days:milet
若い世代の皆様へ
千葉児童5人死傷
千葉児童死傷事故
千葉トラック事故
千葉のトラック暴走事故
「千葉の」と報道されています。千葉人として恥ずかしいやら申し訳ないやら、そんな気持ちを抱かされます。
「飲酒運転をしてはいけない」というのは昨日今日始まったことではないですが、「始まった時」というのが実際にはあったと思っています。
とはいえ、「いまだに」飲酒運転をしている愚か者がいて、そんな者に家族を奪われたり傷つけられたりするのは堪え難いと思います。
私が20代の時は日常的に飲酒運転がされていました。「誰もが」とまでは言いませんが、私の周囲では当たり前で咎める人も殆どいませんでした。
唯一、お酒を飲まない私の父から注意をされたことはありますが、それも今思うと「一応ポーズだけは」という感じで厳しい父の割にはかなり緩い注意だったと思います。
2006年の事故の影響もあり、2007年に飲酒運転が厳罰化されました。当然、事故も2006年の事故に始まったわけではないと思いますが。
「厳罰化」も大きな理由ではありますが、その要因となった事故被害者遺族の悲痛な訴えも私達に届いていたと認識しています。
要するに、厳罰化だけではなく、被害者遺族の悲痛な叫びもそう、勤め先から厳しく指示されているからとか、嫁さんに言われてるからとか、それぞれの環境に合わせて理由をつけて、飲酒運転を辞めていったのです。
そう、私達は「飲酒運転を辞めた」世代なのです。
ただ「既存のルールだから」という理由だけではなく、それを裏付ける背景や経緯を知っているのです。
失礼な話、そんな経緯を知らない若い人が飲酒運転をしようとした時には私達世代が教えて差し上げなければいけませんでした。
が、その教えるべき世代の者が未だに飲酒運転をして、更に命を奪ってしまうなら・・・前言撤回、もう私達には教えて差し上げる権利も義務もなくなりました。今回の事故を知って、彼を蔑視すればそれだけで良い話かも知れません。
良くも悪くも当時より情報は溢れてますから、リアリティは感じてもらえるはずですね。この際、情報の精査も必要ないかも知れません。
少し話を戻すと、私達が飲酒運転を辞めた頃・・・幸いにも私の仲間たちは暗黙の了解で辞めていました。信頼している仲間の一人がしないのであれば、もう必然的に「だよね」ってなるだけです。
ただ、逆に普段一緒ではない仲間が加わった時に「いや、近くだから大丈夫だよ」と運転して帰ろうとしたこともありましたが、全員が死守します。最終的に「歩いて送ってやるから」と文字通り同じ道を歩くのです。
コロナ禍の自粛もそうですが、結局周りの人間の影響は大きいということですよね。わかりよく言えば時代錯誤の昭和イズム上司が中心となってコロナ禍の宴会や会食は行われているのでしょう。
全く話が逸れますが、私の父は現役時代も家で仕事の話をすることを嫌っていました。私も10代後半まで父が何の仕事をしているか知りませんでした。
実際には真っ当な電器関係の営業職だったのですが、常に言っていたのは
「事業所で所有する車が5台以上の場合安全運転管理者が必要で、オレはその安全運転管理者だから・・・」
何千回と言ってました。営業部長なのに営業に関する話ゼロです。彼には「営業部長」という肩書より「安全運転管理者」という肩書の方が誇りだったようです。
周りの人間と、そんな父にも恵まれたのかも知れません。
父は健在です。
都月範之
忘れないでくれて、
自粛という名の我慢の日々。
「慣れたのかな」という錯覚の裏で、確実に何かが蝕まれていることを私達は知っています。現実として受け入れるか否かは別として。
揺らぐばかりの本来の生活、明日、未来への希望展望。
募るばかりの憤り、疑念、不満、不安、心配。
気付かぬ内に、気付かぬ様に、少しずつ擦り減ってゆく。
しかし前向きに生きようと思ったら、やはり表向きは「慣れた」と言うしかないのだろう。
お陰様で、生活に困窮することなく、健康上も問題なく過ごしています。勿論、老化は加速する一方であることは言い添えて置きますが。
強いて言えば、同じ千葉市内で引っ越しをしました。相変わらず利便性重視なのでそんなに引っ込んだつもりはないのですが、木々の緑に恵まれた地域で見事なウグイスの鳴き声も聞こえます。
木更津の実家を出てもうすぐ7年。土地勘もない上に方向音痴というヘビースペックにより周辺の道が全くわからなかった私も、最近では様々な道が「繋がって」自転車で出掛けるのは楽しみのひとつになりました。
「ささやかな幸せ」も「ささやか」という基準を削除すればただの「幸せ」。
書かないほうがいい事、書いてはいけない事、誰かを傷つけてしまったり迷惑をかけてしまう事。
「音楽は不要不急ではない」のだが、あるキッカケから「自分の音楽はそれに該当するのか」というジレンマが生まれ答えが出ないままに、家庭の事情等で環境が変わり日々の生活に追われおざなりになってしまって今に至っています。
ジェンダー差別や人種差別が横行すれば「カラス」をステージで歌っていた日々を思い出し衝動に駆られたり、自殺者増加の報道に自意識過剰な無力感に苛まれたり。
そんな事にも慣れてしまうのかな。オトナって嫌ですね。
千葉ANGAの楽屋。私の前の出演者が厳しいステージを乗り越え「よく頑張ったね」と声をかけ、同時に「じゃ、オレはもっと頑張んなきゃ」とステージに上がりセッティング。
チューニングする手が震えてうまく合わない。愛用のピックが見つからず、練習で削れたピックでサウンドチェック。
簡単なギターリフでチェックするが、どんどん楽しくなる。思わず声が出る、もうこのままでいい、このままいってしまえ!
「イェーーー!」
シャウトして、目が覚めた。
昨日今日の話ではないのですが、そんな事もありました。ご心配は不要です。
時折立ち寄っていた駅前の飲食店も休業を延長しています。
いつも良くしてくれたスタッフさん達はどうしてるかな、大丈夫かな、と心配しています。
お会いしたことのないアスリートの方々や、それら競技を楽しみにしている方々の事なんて心配する立場にありません。
オリンピックなんてどうでもいい。私達の生活に根付いた飲食店の方々を救ってはくれないだろうか。
取り留めのない話ですが、これこそただの「息抜き」です。
いつもありがとうございます。誰も見てなくても、また書きます。
都月範之