奨学生ブライアンの誕生
まだまだ、クイーンが、今のメンバーでバンドを組むなんてこと考えもしなかった1965年、ブライアン博士はもうすでに物理学分野において優秀な頭脳の片鱗をみせていた。
それは、2月19日付のロンドンの新聞、ミドルセックスクロニクルの記事。
それには、イギリスでも最も難関校と言われるインペリアルカレッジ・ロンドンの奨学生に決まった二人の学生の名前。
1人はキース・テイラー君。
もう一人がそう、未来のサー・ブライアン・ハロルド・メイ。
当時のレートで75ポンドは46,000円から5万3000円くらい。
キース君は100ポンドと書かれているので、この違いは成績の差?
何だろう?
文武両道ならぬ文音両道
しかしですよ。
よく考えたら、ブライアンはこの2年前すでに父親と二人でテーブルや暖炉の木材からレッド・スペシャルの作成に取り掛かっていた。
頭の良い親子のほほえましい共同作業と傍目には映るが、肝心のブライアンはインタビューに答えて
「親父はもっと僕に勉強して欲しかったみたいだけどね。」なんて控えめに言っておられる。
インペリアルカレッジ・ロンドンで博士号まで取得して、ナイトの爵位まで持っててこれですから、どんだけ、腰が低い人なんだろう。
学問と音楽の文音?文芸?両道。
いや、もう一個、天体物理学分野でも功績を残している。
す・ご・い・で・す・ね
ともかくも、レッド・スペシャルを完成させる前と後ではブライアンに音楽の道へと向かわせた何かの心境の変化があったのだろうとクイーン大事典の筆者、ダニエルロスさんは書いておられる。
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Amazonでは3300円、写真集くらいの価格なのでちょっとお高い。
この本、ひとりよがりの記述が多いと辛口のレビューを載せている人もいるけど、あらゆる角度から語られており、私には読み応えある一冊となっている。
そして、インペリアルに進んだブライアンは、1984の結成そしてスマイルへと一歩一歩クイーンへと近づいていくのである。