クイーンin Japanの黎明期を彩った方々の企画記事を書こうと思いつつ、
と言い訳しててもしょうがないので、書いていこうと思います。
GWの頃にアップした記事はコチラ
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ちょっと、ザッとおさらいすると、1975年の秋にクイーン公式のファンクラブが正式に発足するまで、その役割を担っていたのは、一般の女子高校生ファンだった。
社会人の人もいたかもしれないけど、そこのところは情報少ないため不明。
大阪在住のファンが中心になって動いていて、彼女たちは会報誌を作るかたわらで全国のファンと交流し、会をまとめていくという重要な役割を担っていた。
1975年4月、初来日のクイーンを追いかけた記事を「QUEEN ON THE ROAD」と題して、会報誌第4号に特集したのだった。
驚きなのは、今だったらメディアの社員で正式な取材証でも持っていない限り、絶対に無理だろうと思われる取材を彼女たちがしているってことだ。
それも、ワーナーパイオニアの社員が同行。
QUEEN TIMES発足の経緯がわからないので、そこは憶測にしかならないけど、時代の事情とかもあったんだろうなあ。
それと、彼女たちの情熱。
それでは、彼女たちとクイーンの当時の動きを時系列に見ていきましょう。
時は1975年4月16日(水)
場所は黄昏迫る羽田空港、
集まったのは、IKKO、
どんだけ~~~あ、失礼しました
じゃあなくて、IKKO、モリ、リトル・ロジャー、リサ、キャシーのファンクラブ(以下FC)スタッフ5人。
リトル・ロジャーさんは、学校を早退してまでやって来たそうだから、間違いなく学生とみえる。
え?クイーンの日って17日じゃ?と思ったあなた。
イイところに気づきましたね。
実は、当初16日だと連絡されていたクイーンの来日は、急遽明日に延期との情報がこの時点で入るのだった。
彼らのやって来るのを今か今かと待ち受けていたFCの面々は、落胆。
とりあえず、お茶でも飲みに行こうとサテン(喫茶店を当時こう呼ぶのが常識、今でもか?)で雑談していた面々の耳に聞こえたのはロビーでのキャーという歓声。
飲みかけのコーヒー放り出して駆け付けつけたが、
何のことはない、そこにいたのはクイーンの技術者8人。
どうやら、中に一人、ロジャーそっくりの人がいたため、勘違いされたらしい。
この時点で時間はPM6:45
リトル・ロジャーさんが、「ギャー、ロジャーだ」と叫ぶとワーナー・パイオニアの
折田氏から
「バカ、自分の好きな人の顔くらい覚えとけ!」
と、怒られたそう。
この会話。
今となってはスゴ過ぎませんか?
モリさんをはじめ、FCスタッフは今からこの騒ぎじゃ・・・と明日を非常に不安に感じたらしい。
なんせ、到着したクイーンのローディ達でさえ、10台のタクシーに追っかけられている状況。
まずいと思ったプロモーターは帝国ホテルで一回降りるふりをしてファンをまいたそうだ。
FCのメンバーは何とか、東京プリンスホテルに無事到着。
居合わせたローディーの1人に「フレディがDisc紙であなたのこと、とっても美しいと言っていた」と伝えると、ものすごいバカ笑いで返されたそう。
そのローディというのは、ジョン・ハリス。
この人ですね。
5人目のクイーンと言われた彼。
インペリアル・カレッジの出身で、ブライアンの級友だった彼は、フレディが、サワー・ミルク・シーというバンドのオーディションを受ける時も協力を惜しまなかった。
後に難病に倒れてクイーンを去るが、彼は初来日の武道館でのツアー初日が忘れられない思い出になっていると手記に残している。
パッと見、ホントに似ている。
しかし、いくらFCのメンバーと言えど、一介の高校生が天下のクイーンのローディと冗談を飛ばし合えるなんぞ、やっぱり凄いわ(さっきから、こればっかり。)
さて、時間もまだまだ宵の口であります。
PM9:40
FCメンバーは親しくなったローディのブライアン・スペンサーとホテル内のバーに移動。
Brian nudger Spencer 左から2番目の人。
会報の中ではnudgerと呼ばれていた。
高校生がホテル内のバー??
あ、でも大人と一緒ならいいのか。
補導の先生の目を盗んでフォークのコンサート行ってた私からしたら、すでに大人の世界を除いているという感じ、それもグローバルに。
バー「ウィンザー」で、ブライアン・スペンサーにQUEEN TIMESを見せるスタッフ。
とても、驚かれたそうだ。
うん、やっぱり当時としては、高校生がこのレベルのものをつくるのは技術スタッフの目からしても感心することだったのだろう。
クイーン来日前夜の記述はローディのメンバー紹介でしめくくられる。
ステージクルー ブライアン・スペンサー
サウンド・エンジニア ジョン・ハリス
ライティングクルー ジェームス・ダン、ジョン・ボードウィック、スティーブ・
ハーストン
サウンドクルー ドン・スミス、スティーブ・ディッカーマン
ツアーマネージャー ジョン・コーレイ
その他付き人数名とマネージャーのジャック・ネルソン
余談ですが、初期のマネージャーのジャック・ネルソンさんは2020年4月、コロナの合併症で亡くなった。
享年77歳、合掌。
こんな3ショットもありました。
さて、日付は変わって来日当日の17日。
時刻はAM10:50
ステージクルーのブライアン・スペンサー氏達とロビー近くで会って挨拶をかわすFCスタッフメンバー。
みんなとても機嫌が良かったそうだ。
PM1:45
クイーンに記者会見の時に渡す花束をIKKOさんとモリさんが用意。
私費を投じたって書いてあるので、高校生の身では大変だったろう。
クイーンに渡すんだからそれ相当のものでないと思って、奮発したかも。
花束の写真ってこれしかなかったけど、何ともシンプルでカワイイ。
PM6:45
羽田にクイーンが到着して、FCスタッフもその後を追いかける・・・んではなく、昨日の苦い経験をもとに先回りして到着。
その時、乗ったハイヤーの名前が「マーキュリー」だったので、驚いたとのことだ。
来日時の羽田空港のくだりは割とあっさり書かれていて、これでおしまい。
PM7:15
IKKOさんとリトル・ロジャーさんがホテルの玄関で待っていると、クイーンが到着!
「ギャ~~、ロジャー」
なぜに、ロジャーだけ名前が出てしまったのかw
ロジャー、フレディー、最後にブライアンの順でロビーに入ってくる。
(確かこの時、ジョンは別の車じゃなかったっけ)
ブライアン・スペンサーを通してFCのメンバーを紹介してもらうと、ロジャーがにっこり笑いながら「よく知っている」と言ったそうな。
この時、近くで見たのか、ロジャーが黒のマスカラをつけていたと書いてあった。
到着したクイーンの面々はそれぞれの行動に。
ブライアンはクルーのメンバーとしゃべっていて、フレディはファンにサービス。
ジョンはなぜかご機嫌が悪かった。
※写真はイメージです
PM8:50
IKKOさんとリトルロジャーさんが、プロモーターの部屋へ行こうとホテルの6Fをウロチョロしていたら、向こうから男性が歩いてくる。
この時の様子を引用。
いやにガリガリのひょろ長い男が、髪をゆさゆささせて歩いてくるではないか
まあ、言わずと知れたブライアンだったんですが。
引き続き、会話を引用。
FC 「アッBrian」
Brian「やあ、今日は!」
FC「今日は!」
Brian「元気かい?」
我々は足はふるえるし、顔はカッカしてくるしでたいへんでしたョ・・・・
あぁ・・・Queenがとうとう来たんだ!
QUEEN TIMES VOL4 7ページより引用
何か、中学英語の教科書例文のような会話だが、それにしてもブライアンと直接会話して彼らの来日を実感するなど・・・・やはり、先輩すごい!と言いたくなる。
次回、QUEEN TIMESをつくった女性たち③は記者会見編をお送りします。
P.S このブログの中で引用したジョン・ハリスの記事は以下のサイトを参考にさせていただきました。
ボヘミアン・ラプソディーで新しくファンになられた管理者様が、公式情報、新旧書籍、古今東西のファンサイトを丹念に調べられて、作られたものです。
楽曲の紹介ではなく、クイーン史の紹介に特化されたとても緻密なサイトです。
QUEEN NOTE Unofficial Fanpage from Japan