1991年にフレディが亡くなってから10数年後の2004年の暮れ、クイーンファンの間にひとつのニュースが走った。

 

「クイーンが、新しいフロントマンを迎えてツアーをやるらしい」

 

 

 

 

 

それまでフレディの後釜は?という感じで参加が囁かれていた人物はいた。

 

 

 

ロビー・ウィリアムズだったり、

 

 

 

ジョージ・マイケルだったりしたのだが、その誰も実現することはなかった。

 

きっかけは、ある日突然やって来る。

ツアー再開のニュースが流れること4か月前、フェンダー・ストラスキャスター50周年を記念したパーティがロンドンで開かれる。

ブリティッシュ・ロック界を代表する著名なギタリストが集まったが、その中にブライアン・メイとポール・ロジャースがいた。

 

ポール・ロジャースのヒット曲「オール・ライト・ナウ」に合わせ、ブライアンがギターを弾き、セッションがその場の勢いで始まった。

この様子をロジャーも、映像で見ていて

 

 

と言ったとか。

 

 

二人のセッションは10:28あたりからです。

 

 

その2か月後の11月、今度はUK・ミュージック・ホール・オブ・フェイム(音楽の殿堂)授賞式にポール、ブライアン、ロジャーの3人が顔を合わせることになる。

ここで続けざまに「ウイ・ウィル・ロック・ユー」「伝説のチャンピオン」「オール・ライト・ナウ」を演奏した3人に拍手喝さいの嵐。

 

 

 

 

 


そう確信した3人はその一か月後にはツアー活動再開の発表を行動に移していた。

 

ここにクイーンの新しいフロントマン、ポール・ロジャースが、誕生した。

 

さあ、そうなったら日本のマスコミも放ってはおかない

HMV&BOOKSのサイトでは、復活記念としてアルバムやDVDのセールを始めた。

 

HMV&BOOKS クイーン復活記念特集

 

NHK出版物 AERA 2005年4月18日号には、こんな見出しで記事も書かれた。

 

 

 

何か文春砲のような見出しw

ぜひバックナンバーがあれば読んでみたい。

 

 

歴史ある日本のファンクラブ(K&Kクイーンファンクラブ)の掲示板では当時の来日ツアーを観たファンの方の感想も書き込まれている。

 

 
 
 
当時の自分は・・・・
 
 
 
だったような気が・・・
 
したがって当時の彼らのニュースは何もアタマに入っておりません。
 
 
許されんですね。
 
 
ここで、ポール・ロジャースについて少し解説。
 
フリー時代のポール
 
 
生まれは1949年イングランドのミドルズブラ。
クイーンメンバーとは同世代。
10代の終わりころから地元のバンドで活動を始め、商業的には成功しなかったが、ブルースの巨匠に認められて、ブルースバンド、フリーを結成。
アルバムが売れなかったことや、メンバーの不仲で解散する。
別のバンドに在籍中、ドラッグに溺れた元メンバーを救おうと、フリーの再結成に奔走するもあえなくまた解散、次に結成したバッド・カンパニーでブレイクする。
 
フリー時代に福岡出身のベーシスト、山内テツが在籍していたり、元の奥さんが日本人女優だったため、日本との縁も深い。
クイーンがアルバムでヒットし始めたころ、バッド・カンパニーも「キャント・ゲット・イナフ」が全米5位を売り上げていた。(Wiki参照)
 
ブルース色が強いので、日本ではファンが限られるものの「レディ・フォー・ラヴ」
とか、オバサン心に沁みます。ハイ。
 
 
それでは、2005年5月9日イングランド北部のシェーフィールドで行われたライヴに場所を移しましょう。
 
 
 
オープニングは「リーチング・アウト
音楽療法を必要とする子どもたちのために一回限りでおこなわれた1996年のプロジェクトにブライアンやポールがローリング・ストーンズのチャーリー・ワッツなどとともに参加し、歌われた曲。
 
ライトに照らされ、歌いながら
ポール登場!
 
 
 
 
 
続いて、幕の陰からブライアン博士登場!
 
 
 

 

幕が落ちると同時に黄金に光る

ロジャー登場!

 

 

このタイミングで曲はご存知、タイ・ユア・マザー・ダウン

 

 

 

密・密・密

 

今はもうできない・・・・

 

 

家族そろってクイーン鑑賞

 

 

 

ポールのマイクスタンドプレーも

エネルギッシュ!

 

 

 

今では恒例の「輝ける日々」

初来日風景は異国の人の目には

どう映ったのだろうか?

 

 

二人のフロントマンが重なる瞬間

 

 

 

大団円の「伝説のチャンピオン」

ポールの衣装は真紅のシャツ

 

 

「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」

で終演へ

 

 

 

ありがとうクイーン!

 

 

 

こうしてイギリス、シェーフィールドでの公演は大成功に終わった。

 

この時の公演はワールドツアーで、フレディのクイーン時代に縁の深いリオデジャネイロなど30か国を回った。

日本のライヴもDVD化されているが、私はこのリターン・オブ・チャンピオンズの方が、カメラワークと言い、観客との一体感と言い好きだなあと思う。

 

 

 

 

その後、5年間近くにわたる活動を経て、クイーン+ポール・ロジャースの歴史は終わった。ブルース色の強いポールとブライアンとロジャーの路線が合わなかったという記事も読んだことがある。

アダム・ランバートとは、ポール以上に活動を続けていることからも、彼との感性がマッチしたという証拠なのかなあ。

 

 

でも、私は再びファンの前にフロント・マンをともなったクイーンが現れた瞬間をおさめたこのライヴが好きなのである。

 

それにこの記事を書いていて思い出したけれど、

クイーン聴いてない時期にもバッド・カンパニーは好きで聴いてた私。

 

 

やっぱり、何か縁はつながってた。

 

全編楽しみたい人にはYouTubeであがってますので。

(画質は良くありませんが、以下URLを参照ください。)

 

https://youtu.be/lxgsuW-oqO4

 

 

 

 

お知らせ

 

 

実は、この記事はもっと前に更新しようと、準備しておったわけですが、人員不足の上に、急に客足のもどった職場で無理をしたせいかこのところ腰に不安を感じておりました。

 

 

そのうえ、我が家のデブ犬を抱っこした拍子に腰痛の悪化は決定的に。

 

 

 

 

 

 

 

 

でもですね。

 

 

もっと悲しいのは、生きるか死ぬかの病気をした我が家のデブ犬が

(太ったのは薬の副作用もある)

今日、容態が急変して動物病院のICUにいるのです。

 

 

ひょっとしたら

 

 

病気が病気だけに

 

 

もう家に帰ってこれないかもしれない。

 

思い出がいろいろよみがえってきて、

さっきから泣き続けでしたが、

 

 

気をまぎらわすためにブログ更新しています。

 

 

犬を飼っている方、飼ってないけれど犬好きな方、

ちょっとでも、デブ犬のために祈っていただけたら嬉しいです。

 

たった、5年で逝ってしまうのは本当に悲しいです。