1977年のクリスマス BBCのラジオ1の収録で
コロナは続いているのに・・・・
なぜかお客さんの出足は回復しつつあって、仕事が忙しくなりつつも花粉症のアレルギー症状に悩んでいる今日この頃。
ブログ更新もボチボチでいきます。
こんな動画をクイーンのDVDやなんかで見たことはありませんか?
フレディとからんでいるのは、コメディアンであり、DJでもあるケニー・エヴェレット
本名モーリス・ジェームス・クリストファー・コール(別人くらいの本名)。
1944年リバプール生まれ、ラジオDJ、TVタレント、コメディアン、ダンサー、ポップシンガーや音楽プロデューサーという多彩な活動で一世を風靡した。プロデューサーとしては、ビートルズのアルバムを担当したこともある。
(Bohemian Rhapsodyより)本人よりイケメン💛
6分という長さのシングルなどラジオメディアにのせるのは絶対難しいといわれていた
時代に、空気を読まないこのおじさんは同じ番組で、この曲を14回かける。
それだけ、この曲に惚れこんでいた。
その時の上司への言い訳は、
「指がすべって」
当時のヒットの決め手ははラジオでシングルがリスナーの耳にどれだけ届くかどうか。彼はボヘミアン・ラプソディシングルヒットの立役者の一人だった。
多1976年11月、多くのリスナーを抱えていたラジオ1にくらべて地方局に過ぎなかったキャピタルラジオのDJのケニーは、自分の番組に親友フレディを呼んで、大手のラジオ局ではできないようなおふざけをする。
イギリスでは、発売目前の「華麗なるレース」の曲を紹介しながら、スキあらばフレディにドッキリをしかけようと狙っていたのだ。
そうとは知らないフレディは、ケニーにじゃんじゃん宣伝してもらおうとスタジオにやってくる。
一曲目は「タイ・ユア・マザー・ダウン」
それを聴いたケニーの感想。
フレディがそれに返答。
ジョン・ディーコンの「ユー・アンド・アイ」がかかったあと、ジョンが静かなメンバーだといったケニーに対して、フレディが「彼は静かな顔の下に炎がメラメラ燃えてる」と返す。
その後も、アルバムの中の曲をかけながらハーモニーやレコーディングの話が続く。そして、話題はフレディの嫌いなイギリスのメディアの話に。
怒りをぶちまけていい、というケニーにフレディはイギリスのメディアは建設的でないと怒る。
注)〇〇〇はちょっと表現が・・・だったので伏せましたw
曲紹介は進んでいき、番組も佳境にはいってくる。
ケニーが「華麗なるレース」をしつこく売り込んだところで、一曲。
ロジャーの「さまよい(Drowse)」がかかる。
この歌はウトウトまどろみながら現実と過去の思い出を行き来している男の心境を歌ったものなのですが・・・
シャンプー変えるか
相変わらずの毒舌ぶりを発揮するケニー。
そして、いよいよアルバムのクライマックス「手をとり合って」を紹介するふりを
しながら、フレディの目の前に原稿を置く。
フレディの天気予報~~~~
たった今原稿が置かれたばかりなのにと言い訳しながらも、そこはフレディ、何とか読み始める。
けなげにたどたどしく原稿を読むフレディに容赦ないケニー。
ゲストに呼んでいながら、この唐突な終わり方もかなりのもんだと思う。
この後、ケニーは再度、クリスマスの靴下に「華麗なるレース」をいれることをリスナーの皆さんにお願いするのだった。
ラストの曲「Teo Torriatte(手をとりあって)」がかかり放送は終了する。
後のエピソードとして、ボヘミアン・ラプソディは、ケニーが、発売前のシングルをこっそり手に入れて、キャピタル・ラジオで繰り返しかけたことがヒットの要因と
いう事が、言われてきた。
しかし、たかだかロンドンだけにリスナーが限られた地方局にその影響力はなかったとも言われる。
本当のヒットの立役者は1977年からクイーンがクリスマスのインタビュー番組に出演したラジオ1なのだが、その事は人々の話題にものぼらなかった。
それほど、ケニー・エヴェレットのキャラクターが強烈だったのだろう。
そのケニーも、後にHIVの合併症で1995年にこの世を去る。
天国でフレディと二人、コントやっているんだろうか?
この記事を書き終わってから気づいたけれどもyouTubeにこのBBCの録音版があがっていた。この動画を公開しているOfficialQueenRomaniaにはレアな動画があります。
参考文献・サイト
レスリー・アン・ジョーンズ著
フレディ・マーキュリー 孤独な道化
オン・エア~BBCセッションズ(スーパー・デラックス・エディション)
ブックレット