年末年始、子どもと一緒にいると、

あらためてうちの子どもたちは

仲良いんだな、と感じる。もちろん

喧嘩もするが、基本ずっと一緒に

遊んでいる。ゼンカイジャーごっこ

などの、ごっこ遊びが多いようだ。

 

年子で年齢が近いせいも

あるのかもしれないが、

知能的な面でいえば、

いまや小1の息子は、

小2の娘よりもかなり進んでいる。

たとえば、娘は3歳のころから

今まで変わらずアンパンマンや

ノンタンが大好きだが、息子は最近、

アニメの「ハイキュー」を観たり、

『科学漫画サバイバルシリーズ』を

読んだりするようになった。

 

大人の見方でいえば、この違いは

姉に知的障害があるのにたいして、

弟は定型発達だから、という

説明になるのだろう。

 

でも、2人を見て気づかされるのは、

「障害」とか「定型発達」といった

言葉は、大人が勝手に作り上げた

レッテルにすぎないということだ。

息子が娘と自然に遊べているのは、

彼が姉のことを「障害者」という

レッテルで見ていないからなのだろう。

 

息子はまだ、「障害」とか「障害者」という

言葉を知らない。うちのねえちゃんは

少しほかの子と違うな、くらいには

思っているようだが、それ以上は、

とくに気にしていない様子だ。

 

私たち「健常者」は、おそらく人生の

どこかの段階で「障害者」という

言葉を知り、そのとたんに、

それに当てはまる人を自分たちとは

「違う」存在だと認識するように

なるのだろう。

 

そうして私たち「健常者」は、

心理的・物理的に「障害者」から

距離をおくようになっていくのだろう。

 

障害は、脳や身体の問題である

以前に、社会や私たちの意識が

作るものなのだ。うちの子たちを

見ていると、つくづくそのことが分かる。

 

そう遠くないうちに、息子も娘が

「障害者」であるということを

学習するだろう。たとえそうなっても、

今のように彼女に自然に接して、

遊んだり喧嘩したりし続けてほしい。

親として、そのことを切に願っている。