源平屋島の戦いも日没近くなりまして、平家の陣から一艘の小舟が漕ぎ出してきて、五十間(100m弱)ほどの距離で横向きになって止まった。乗っていた平家一の美女、「玉虫の前」と呼ばれた柳御前(やなぎのまえ)という女官が船縁に立てた竿の先に日の丸を描いた扇を指指し、「やよ、源氏の共腹、源氏の弓の力を見たしこの扇の的を射貫く者は無きや」と挑発した。

この時点で平家の負けは七分通り決まっていた。平家の風流さが出ていて素晴らしいと言う人が居ますがそんな事は無く、平宗盛(むねもり)の計略があった。

源氏の大将義経(よしつね)は身長が低く醜男であったと言いますが、ま、イイ男として話を進めます。義経の父親は源義朝(よしとも)で母親は常磐御前、父親は3歳の時平家方の侍に殺されているので、父親の愛情は受けていなかった。母親の常磐御前は義朝の死後直ぐに敵将平清盛に寝返った。

常磐御前は絶世の美女と言われた。

この時代の美人とは『立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花 小野小町か輝手姫 見ぬ唐(もろこし)の楊貴妃か 普賢菩薩の再来か常盤御前に袈裟御前 弁天様が砂糖漬けになった様な美しさ。背は高からず低からず、顔は長からず丸からず、また、色の白いことは雪に鉋をかけた様で真っ白。髪は烏の濡れ羽色 額は自慢で見せる三国一の富士額、眉毛は遠山の霞の如く 白目は水晶 黒目は漆を垂らした様 鼻筋がスーっと通って背中まで 第一、口の小さいことは一粒のご飯が横に入らないから縦に押し込もうというほどのおちょぼ口』というのが美人と言われた。

特に美人の基準として肌は白い方が良かった。

常磐御前も着物を脱ぐと胸の辺りにアザがあるのでどうしたのかと良く見ると、朝の御味御汁のワカメがあばらの三枚目に引っかかっていた。髪はカラスの濡れ羽色、三国を自慢に見せる富士額。眉毛は山谷の三ヶ月眉毛、放物線を描いた眉が良いとされていますが、最近は思い思いのラインを書いています。鼻は高からず低からず、と言って高ければ剣が有っていけないと言うし、低いのは煙草の煙がもろに額に当たってヤニっぽくなるのはいけません。唇も薄いのは薄情そうでいけなく、厚いのは色気が無いと言い、良いのは厚っペラでなく薄っぺらでも無く、丁度イイッペラがイイ。首は細く絞まって、肩はなで方、胸は現代と違って小さめが良かった。腰はそよそよと柳腰。その全てに当てはまった。

可哀相なのが義経で、幼少牛若丸と言われたとき、鞍馬山に預けられた。鞍馬山には天狗が居て、その名を、鞍馬天狗と言った。天狗に武術を習い、メキメキと腕を上げた。

平宗盛からすると、義経はマザコンだと分かっていたので、ミス平家の玉虫の前が呼びかければ、それに食いつくのは分かっていた。義経が弓を引く必要は無く、その部下であった、佐々木四郎高経(たかつね)または梶原源太景末が弓の名手だから立ち会えば良かったが、宗盛はどちらかが出て近くの祈り岩から打つであろうと、忍びの者を岩陰に忍ばせていた。

源氏の大事な時なので、弓の名手がことごとく断りを入れた。その時候補に挙がったのが、十郎為高であったが、弟の与一にそのチャンスを譲った。しかし、二十歳前の青年に出来るか不安であったが、受けた与一は生きて帰れないとの思いで、その命を受けた。馬上から義経にお目通り。与一に矢は鏑矢(かぶらや)で仕留めよとの指示。

時は文治元(1185)年2月18日、場所は現在の四国高松市屋島。夕暮れ間近の酉の刻、現在の午後6時。的の扇は波にもまれて上下左右に動いて定まらない。海に乗り出して近づくと岩があってその上に乗り上げた。距離40間(約70m)程、島影にいた忍びの者はあまりにも若造なもので見過ごすことになった。

与一、鏑矢を取り出した。この鏑矢はドラマチックな音を出して飛ぶが、唯一の欠点、何処に飛ぶか分からないもので、天才にしか扱えない矢であった。扇の的は相変わらず定まらないので、腹の中で八幡大菩薩に祈った。目を開けてみると扇の動きが定まっていた。弓をキリキリと引き絞り矢を放つと扇の要を射貫いた。

あまりにも見事だったもので、両軍からどよめきと歓声が上がった。敵方の将、宗盛もあまりにも見事だというので、短冊に歌を詠んで踊った。その為平家は没落をします。

世のことわざに、踊る(おごる)平家は久しからず。

この噺には続きがあって、とどのつまりは「壇の浦」。一時は力を盛り返しました平家ですが、義経の八艘飛びの前にはかないません。もう追い詰められました能登守教経(のりつね)は、源氏の侍を両の腕(かいな)へこぉ抱え込んで静かに海中へ沈み、ジ~ッとして平家ガニの元祖となります。怒り狂ったか、知盛(とももり)はイカリを体へ巻き付けて海中へドボ~ン。ついに平家一統は西海に没しました。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。げに奢る者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。