神功皇后は、息子のオオトモワケの命が成人する日まで摂政を務めていたが、ついに皇后に替わってオオトモワケ、別名ホムダワケの命が天下を治めることとなった。のちになって応神天皇と呼ばれる。応神天皇は男子十一人、女子十五人の子をもうけた子だくさん天皇であった。そのうち後継者として有力な皇子は三人いた。年の順に、上からオオヤマモリの命、オオサザキの命、ウジノワキ郎子(いらっこ)である。むろん異母兄弟である。天皇は、めいめいが子どもを持つように成った頃、オオヤマモリとオオサザキにこう聞いた。「お前たちは、父親として年上の子どもと年下の子ども、どちらが可愛いか」。こう尋ねるのには、理由があった。天皇は皇位を一番下の息子、ウジノワキ郎子に譲ろうと考えていたからだ。オオヤマモリは、「年上の子の方が可愛くおもわれます」と答えた。いっぽうオオサザキは天皇の心中を察していた。それで、こう答える。「年上の子はすでに成人していますので、気にかかることもありませんが、年下のほうはまだ成人とておりませんので、こちらの方が可愛く思われます」。果たして天皇は深く頷き、「オオサザキよ。お前の言ったことは私の思っている通りだ」。そう言うと、三人の息子にこんな命令を下した。「オオヤマモリは海と山の部民を管理し、オオサザキは私の統治する国の政治を補佐する任に当たりなさい。ウジノワキ郎子は皇位を受け継ぎ、天下を治めなさい」。この天皇の詔に、オオサザキは背くことはなかった。

応神天皇が皇位を譲ろうと考えた息子・ウジノワキ郎子は豪族の娘であるヤカウエヒメが生んだ子である。あるとき、天皇は大和から近江国へ山越えをして宇治の木幡へ出かれた。そこでヤカウエヒメに出会い「明日、都に帰るとき、お前の家にたちよろう」と言って立ち寄った。娘の家では天皇を迎えるため家を整え飾り、食事の準備をして迎えた。食事を用意して差し出すのは服従儀礼であり、天皇に付き従うという意思表示をしたことになる。それから天皇は、ヤカウエヒメという乙女に、心の底から魅せられてしまい、乙女とまぐわいして生まれた子どもが、ウジノワキ郎子なのである。