第十四代仲哀天皇の妻神功皇后は、朝鮮半島の新羅、百済、高句麗の三国を征伐した人物として古事記に描かれている。明治期には紙幣や切手の肖像にもなった女性だ。しかし、この神功皇后による三韓征伐も疑わしい点が多い、そもそも、神功皇后と夫の仲哀天皇の存在自体、怪しいと考えられている。筑紫(福岡県)で新羅討伐神託をうけた神功皇后は、兵を率いて海を渡った。神託を信じなかった仲哀天皇が死んでしまったため、妻の神功皇后が後を継いでいたのである。このとき身ごもっていた子どもが、第十五代応神天皇だ。海を渡った日本の遠征軍を見た新羅は、戦わずして軍門に下り、日本への朝貢を約束した。新羅を平定した神功皇后は、帰国して応神天皇を生み落としたという。この物語に登場する応神天皇は、両親とは異なり、実在した可能性が高いと考えられている。だが、神功皇后征伐自体が史実として疑わしいことから、応神天皇の出生の個所は、その出自を飾るための創作である可能性が高い。こうした神話が描かれたのは、6~7世紀の対外状況も関係している。大和政権は、朝鮮半島の百済とは良好な関係を築いていたが、新羅とは敵対関係にあり、いつ衝突してもおかしくなかった。また、日本が朝鮮半島に置いた拠点も新羅の支配下にはいったため、その拠点を奪還しようと、討伐計画が上がったこともあった。古事記編纂中も、気の抜けない状況下にあったことは間違いない。こうした緊張した対外関係が反映され、三韓征伐という、日本の悲願が投影された物語が誕生したと考えられる。

これまで見てきたように、神武天皇や仲哀天皇など、古事記には実在が疑わしい天皇が多く登場する。しかし、第十五代応神天皇以降は、実在した可能性が高い天皇が多くなる。それは中国の歴史書によって裏づけられるからだ。では、なぜ架空の天皇が生み出されたのだろうかというと、第十代崇神天皇の存在が重要になる。崇神天皇は、祭祀の実行者として詳細に記述された天皇で、実在したと考えられる最初の天皇である。この崇神天皇(3世紀後半~4世紀初頭)につながる天皇の系譜を威厳付けるため、編纂者は実在しない天皇を生み出し、朝廷の歴史を荘重に飾ってその正統性を主張したのだと考えられている。