景行天皇は、息子のヤマトタケルの命が大和へ帰ってくると、その旅の疲れも癒えないうちに、次のような命令を与えた。「引き続き東方十二カ国の荒ぶる神々や、服従しない者どもを平定し、服従させよ」ついては吉備の臣の先祖に当たるミスキトミミタケヒコを供として与え、また柊の長い矛を授ける。これじゃ、息つく暇もない。と思うが、勅命である。こうして再び、ヤマトタケルは東国遠征に出発することになる。出立にあた、伊勢の神宮に立ち寄って参拝した。ここは、クマソタケルを討つさい、女装するための衣装をもらい受けた叔母のヤマトヒメがいる。その叔母に、父上は私など死んでしまえばいいと思っているようです。そう嘆き悲しんで、出立しようとするヤマトタケルに、叔母のヤマトヒメは草薙の剣と袋を授け「この袋の口は、もし火急のことがあったなら、ほどいてお開けなさい」と言った。

尾張の国に到着したヤマトタケルは、しかるべき豪族の娘であるミヤズヒメの家へ入った。ミヤズヒメと契りを結んで一緒になるつもりであったが、まぐわいをするなら東国を平定した帰りにしようと、その約束だけをして東国へ向かった。その途中、荒ぶる神々や服従しない人々を平定し、帰順させた。相模国(神奈川県)に入ったとき、そこの国造(くにのみやっこ)が、ヤマトタケルに「この野原の中に大きな沼があり、そこに住む神は荒々しい勢いを振るう、とても恐ろしい神です」と言った。そこでヤマトタケルはその神を、見てくれようと野原に足を踏み入れた。だが、いくら奥へ入っても沼はいっこうに見えてこない。はて‥と、怪しんだときである。野の四方から野焼きのような火が迫ってきた。ヤマトタケルは騙されたことに気付き、激しく怒りが込み上げてくるが、いかんとも難しい。万事休すかと思われたとき、叔母から貰った袋を思い出し、その口をほどき開けてみた。中には火打石が入っていた。ヤマトタケルはただちに剣で周りの草を薙ぎ払い、身の回りから燃える草をなくしたうえで火打石で向かい火をつけた。こうして無事に野原を脱け出ることが出来たヤマトタケルは、国造の一族を斬り殺し焼いてしまった。それで、その地を焼津(静岡県焼津市)というのである。