―宮沢賢治―

「ではみなさんは、そういうふうに川だと言われたり、乳の流れたあとだと言われたりしていた、このぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか」先生は、黒板につるした大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯(ぎんがたい)のようなところを指しながら、みんなに問いをかけました。カムパネルラが手をあげました。それから四、五人手をあげました。ジョバンニも手をあげようとして、急いそいでそのままやめました。たしかにあれがみんな星だと、いつか雑誌で読んだのでしたが、このごろはジョバンニはまるで毎日教室でもねむく、本を読むひまも読む本もないので、なんだかどんなこともよくわからないという気持がするのでした。

ところが先生は早くもそれを見つけたのでした。

 

 

宮沢賢治

1896年(明治29年)、岩手県花巻で生まれる。詩人であり、童話作家。盛岡高等農林学校を卒業したのち、花巻農学校の教諭を務めた。過労により病に倒れ、病床で『雨ニモマケズ』を執筆したが、1933年37歳の若さでこの世を去る。生前に出版されたのは1924年の詩集『春と修羅』と、童話『注文の多い料理店』のみであり、死後に草野心平らの尽力により数多くの作品が出版された。賢治は出身地の岩手を深く愛しており、賢治の作品中に登場する理想郷の名前「イーハトーブ」は岩手をモチーフとしている。