高崎市山名町字山ノ上の三本辻に鎮座する高さ1.5mほどの珍しい座像の地蔵菩薩(1)です。造立年代は定かではありませんが、「お陰地蔵」の異名もあり、現在でも地域の見守り地蔵尊として崇拝されています。末法思想(2)によれば、釈迦入滅後、正法(しょうほう)、像法(ぞうほう)、末法(まっぽう)の世を経て弥勒菩薩(3)が出現するまでの長い無仏の時代が続くが、この間、六道の世界を生まれ変わる輪廻(4)に苦しむ人々を救済するのが地蔵菩薩であるとされています。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190611/13/citizen8823/8b/36/j/o1024076814458717159.jpg?caw=800)
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(1)地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
地蔵菩薩は釈迦の入滅後から弥勒菩薩が現れるまでの間、人々を救うためにこの世に現れた救世主として信仰されている菩薩です。六道のすべての人々を苦しみから救うために、手を差し伸べてくれる。誰もが親しみをもてる僧侶の姿で見守ってくれています。地蔵菩薩は、普通の僧と同じように頭を剃っています。なぜかと言うと、地蔵というのは本来もう悟りを開ける素質があるからです。つまり、如来になれるのだけれども、あえてこの世の衆生を救うために、言うならば弥勒菩薩が下生するまでのつなぎとして、この世の人々を助けるという使命を持った仏なのです。地蔵が僧体しているのもそのためです。なお、「如来」とは、別名仏陀とも言い、悟りを開いた人という意味です。また、「菩薩」とは、如来になるために修行中の人をいいます。
また、菩薩は長い髪を角髪(みずら)に結い、イヤリングやネックレスなど多くの装身具を身に付けていますが、あれは、お釈迦様がまだ完全に悟りを開ききっていないときの状態、つまり、王子時代のお釈迦様の姿をモデルにしたものです。これに対し、如来像は装身具を一切身に付けていませんが、それは、悟りを開いた後のお釈迦様の姿をモデルとしています。つまり、悟りを開くと執着がなくなるので、高価な財宝など必要ないということです。
(2)末法思想(まっぽうしそう)
末法思想とは、仏教の正しい教えが伝わる期間には限界があるという考え方で、釈迦の入滅(死)を起点として計算し、その後千年は正法(正しい教え)が伝わるが、次の千年には像法(形だけの教え)になり、さらに次の千年には末法(名だけの教え)になるという考え方で、日本では仏教の創始者ブッタが亡くなった紀元前949年(※この当時の人々が信じていた釈迦入滅年代)の二千年後、すなわち1052(永承7)年から末法の時代がくると当時の人々は思っていました。この時代は、藤原摂関政治の最盛期の時代で、末法思想が盛んになるにつれ救済の道はこれしかないと浄土信仰が盛んになりました。
なお、仏教公伝には「上宮聖徳法王帝説」538(欽明7)年と「日本書紀」552(欽明17)年の2説あるが、日本書紀の552年は、末法の時代が始まると信じられていた1052(永承7)年の500年前となり、これは末法思想に基づいて年代を操作されたと考えられています。
※ 仏教の開祖釈迦(本名:ゴーダマ・シッダールタ)は西暦紀元前463年(566年とする説も)に誕生し、29歳で出家して35歳の時に悟りを開きその後、仏教教団を確立し80歳で入滅したといわれています。
(3)弥勒菩薩(みろくぼさつ)
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190611/13/citizen8823/3d/8f/j/o0110016014458717177.jpg?caw=800)
(4)輪廻(りんね)
輪廻とは、前世で行ったこと(カルマ)にしたがって、さまざまなものに生まれ変わることを言います。インドでは、こうした生と死との繰り返しを苦として、再生しないこと、すなわち解脱が理想とされました。その考えは、ヒンドゥー教の前身であるバラモン教にみられ、インドのカースト制の根拠となっている思想です。仏教は、輪廻の考えを教義の前提としている宗教です。輪廻によって生まれ変わる世界は6つあります。「天道」「人間道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」、これらを総称して「六道」と言います。