みなみやはたの散歩道
『石碑の路を歩く・山上碑』(8)
高崎自然歩道「石碑の路」の山名町字山神谷に所在する山上碑(681年)は、天武天皇の10(681)年、放光寺(前橋市総社町の山王廃寺と推定される)の長利僧が、母黒売刀自の供養のために建てた石碑である。碑文は日本語の語順に漢字を記した国内最高級の史料であり、古墳とともに国の特別史跡に指定されている。放光寺という寺は、当時、東国最古・最大級の寺院であったことが、発掘調査であきらかにされている。東国有数の名刹の僧であった長利は、相当の知識者であったと考えられる。山上古墳は、山上碑の東隣にある円墳で、南斜面に山寄せ式に造られている。この古墳は山上碑よりも数年古いため、母黒売刀自の父親の墓として造られ、後に母黒売刀自が追葬されたと考えられている。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190611/13/citizen8823/e0/b4/j/o0116032014458700176.jpg?caw=800)
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190611/13/citizen8823/30/8c/j/o0330073714458700186.jpg?caw=800)
[碑文]
辛己歳(かのとみのとし)、集月(じゆうがつ)三日に記(みっかにしる)す
佐野三家(さののみやけ)を定め賜(さだめたまえる)健守命(たけもりのみこと)の孫(まご)の黒売刀自(くろめとじ)、此(こ)れ新川臣(につかわのおみ)の児(こ)の斯多々弥足尼(したたみのすくね)の孫(まご)の大児臣(おおごのおみ)に娶(とつ)ぎて生(う)める児(こ)の長利僧(ちようりのそう)が、母の為(ため)に記(しる)し定(さだ)むる文也(ふみなり)放光寺僧(ほうこうじのそう)
山上古墳&山上碑覆屋
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190611/13/citizen8823/e2/08/j/o0448033614458700197.jpg?caw=800)
山上碑覆屋 山上碑
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190611/13/citizen8823/aa/82/j/o0448033614458700205.jpg?caw=800)
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190611/13/citizen8823/58/ec/j/o0309044814458700214.jpg?caw=800)
古墳と歌碑の間を通る「石碑の路」
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190611/13/citizen8823/8f/f5/j/o0448033614458700222.jpg?caw=800)
※碑文の読み方は、「高崎自然歩道ガイドマップ」を参考にしました。マップは南八幡公民館で配布しています。