みなみやはたの散歩道
 
『石碑の路を歩く・山上碑』(8) 
 
高崎自然歩道「石碑の路」の山名町字山神谷に所在する山上碑(681年)は、天武天皇の10(681)年、放光寺(前橋市総社町の山王廃寺と推定される)の長利僧が、母黒売刀自の供養のために建てた石碑である。碑文は日本語の語順に漢字を記した国内最高級の史料であり、古墳とともに国の特別史跡に指定されている。放光寺という寺は、当時、東国最古・最大級の寺院であったことが、発掘調査であきらかにされている。東国有数の名刹の僧であった長利は、相当の知識者であったと考えられる。山上古墳は、山上碑の東隣にある円墳で、南斜面に山寄せ式に造られている。この古墳は山上碑よりも数年古いため、母黒売刀自の父親の墓として造られ、後に母黒売刀自が追葬されたと考えられている。
 
イメージ 4       イメージ 5
 
 [碑文
辛己歳(かのとみのとし)集月(じゆうがつ)三日に記(みっかにしる)
佐野三家(さののみやけ)定め賜(さだめたまえる)健守命(たけもりのみこと)の孫(まご)黒売刀自(くろめとじ)(こ)新川臣(につかわのおみ)の児(こ)斯多々弥足尼(したたみのすくね)の孫(まご)大児臣(おおごのおみ)(とつ)ぎて(う)める(こ)長利僧(ちようりのそう)、母の為(ため)に記(しる)し定(さだ)むる文也(ふみなり)放光寺僧(ほうこうじのそう)

山上古墳&山上碑覆屋

イメージ 1
                  山上碑覆屋                    山上碑
         イメージ 3     イメージ 2

古墳と歌碑の間を通る「石碑の路」

イメージ 6
※碑文の読み方は、「高崎自然歩道ガイドマップ」を参考にしました。マップは南八幡公民館で配布しています。