みなみやはたの散歩道
 
『石碑の路を歩く・山名城址』(10) 
 
山ノ上集落の上方、山上碑からの自然歩道が大きく左折するところに、山名城址の入口看板があり、木段を200m程登ると山名城址に到着する。ここは南北朝の頃、南朝方の拠点の城として山名城が築かれたが、後の改修が大規模で、現在残っているのは戦国時代の遺構です。山名城の本丸と二の丸の部分は昭和48131日(二の丸)、昭和61213日(本丸を追加指定)が高崎市指定史跡に指定されている。
山名城は、東西450m、幅の最も広い二の丸は南北130mの長さがある。本丸はその西に並び、両郭が壕で距てられているのが城の中核となる。この城は、寺尾上城(乗附)・中城(寺尾)と一連の名称で、寺尾下城とか前城と呼ばれている。城は、尹良親王(ゆきよししんのう)時代に一堡塁として築かれたが、後に木部城の要害城となった。また、城の各所に「かざし土居」が設けられているのは、弓矢だけでなく既に鉄砲が使用されていた戦国時代になって、木部城の要害城として改築されたことを物語っている。
山名城址丘陵を遠景より望む
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                                                                    山名城址入口
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山名城址                 山名城予想図
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※「高崎自然歩道ガイドマップ」を参考にしまた。マップは南八幡公民館で配布しています。