鹿島神社の七日火
 
  高崎市根小屋町(第2区)に鎮座する鹿島神社は、毎年8月7日の七日火の花火大会が有名です。昔、農民手作りの花火を打ち上げ真夏の夜を楽しんだ「鹿島の七日火」が今に伝わっているもので祭りは、世話人が毎年交代で祭礼の準備をし、そして村人の『家内安全』『五穀豊穣』『天下泰平』を願う祭礼です。特色は花火が大好きな神様で、祭りの当日の夜は、『万灯:まんどう』と呼ばれる仕掛け花火を神社境内に建て、各組単位で打ち上げます。そして、昔は自家花火を作って神社に奉納していたが、今は煙火店へ注文して、3号、5号を60発位打ち上げています。また、万灯とは6m程の竹の先端部に数発の打ち上げ花火を仕掛けたもので、当日の夜、19時半頃に四地区(宮本組・下組・反目西・反目東)から担がれて来て鹿島宮境内で打ち上げられます。
 

 

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 鹿島神社と防人  ≪石碑の路設置の説明板より≫
「飛鳥時代この国の若者は、碓氷(うすい)の嶺を越え、遠く筑紫(つくし/福岡県)の国の防人(さきもり)として召されて行った。 《日の暮れに碓氷の山を越ゆる日は、夫()なのが袖もさやに振らしつ》 上代、東国(あずまのくに)の防人は国を立つとき、鹿島の神を祀ったという。鹿島立である。この尾根道の東の麓に鹿島神社がある。その昔この地から筑紫へ召された若者がいた。残されたものが鹿島立ちを祝った場所に、鹿島明神の祠を建てて若者の無事を祈った。その若者は再び故郷の土を踏むことができたのかその址に鹿島神社が残った。いつの頃からか神社では毎年8月7日に七日火という万燈花火を打ち上げて、祖霊を慰めるようになった。」 
 
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  この神社の境内には古い塔の礎石と思われるものが北東隅と南西隅と本殿の東側の大きな樹の根元に三個あり、境内から平安時代の古瓦が出土しており、古くからの神社であったらしい。 鹿島神社のあるところからは必ず防人(さきもり)が出ているという。防人は、天智2年(663)に朝鮮半島の百済救済のために出兵した倭軍が白村江の戦いにて唐・新羅の連合軍に大敗したことを契機に、唐が攻めてくるのではないかとの憂慮から九州沿岸の防衛のため設置された辺境防備の兵であった。防人の任期は3年で諸国の軍団から派遣され、任期は延長される事がよくあり、食糧・武器は自弁であった。大宰府がその指揮に当たり、壱岐・対馬および筑紫の諸国に配備された。当初は遠江以東の東国から徴兵され、その間も税は免除される事はないため、農民にとっては重い負担であり、兵士の士気は低かったと考えられている。徴集された防人は、九州まで係の者が同行して連れて行かれたが、任務が終わって帰郷する際は付き添いも無く、途中で野垂れ死にする者も少なくなかったそうです。
 
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