ラップ トップが壊れてしまった、そして。 | gozira hunterのブログ

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先週突然ラップ トップが壊れてしまった。ブラックアウト、それ以来まったく元に戻らなかった。そこで娘が新しいのをオーダーしてくれた。今時は家で数日待っていればデリバリーしてくれるようだ。なんだかんだとしてるうちに1週間たってしまった。

 

 

最近は旅行をしてない、だから旅行記のようなものもネタがない。そうかといって食い物の話を書いても、おばさん風のブログになってしまうので、これでは タフ おやじのアメリカ情報 も名前を変えて、OO親父のアメリカ情報 名前を変えようと考るが、いやマジで、、、思い浮かない? なにかいいタイトルがあったら、教えてください。

 

 

昔話ならネタは本を一冊書いたくらいで、メキシコ、中米、南米、フィシィング、ハンテングでアラスカ、カナダ、USAなどで30代から60代まで、やっていた。ブラジルのアマゾン川を船で下ったり、ブラジル娘としばらくの間仲良くなったり、ペルーのマチュピチュへ登り、麓の町 クスコで酒飲んで、高山病になったり(息ができなくなり)死ぬかと思ったり、学生をやっていた頃は体力勝負で、1人であてもなくアラスカのコデアック島まで行き、鮭のかんずめ工場でひと夏働いた、1969年、なんと日本の100倍稼いだり、やはり学生をやっていたひと夏、ネバダの砂漠の中にある、鉄道の線路を取り換える仕事もやった。これは夏ラスベガスへ行ったことのある人はわかると思うが、くそ熱い地帯で、木など一本も生えていない地帯。全員暑さに強いメキシカンキャンプでたった1人の日本人が働いていた、これも金になった。

 

ただ風のたよりで、アラスカへ向かった。仕事が取れなければ、ヒッチ ハイクでサンフランシスコに戻りレストランの安い単純作業をやるしかなかった。その頃はアメリカに来て1年目、まだ英語も片言、ビザも観光で、でも何とかなるもんでした。下手をしてトラブルに巻き込まれれば、イミグレーション(移民局)に捕まり、日本へ強制送還、、ということもあった。でもそんな事を考えていたら、なにもできない。ジャスト ゴーゴーの青春でした。

 

 

それから、学校も終わり、英語もまともにできるようになって、会社を作った。

ゴールデン ウエスト スポーツ ツアー  ハンテング&フィシィング をやらせるツアー  日本へ営業に行き、アラスカ、カナダ、アメリカでハンテング、メキシコでマーリン カジキマグロを釣るツアー、、お客は日本からパラパラ来るが、生活はできない。

結婚もしたし、子供は生まれる金はなし、ワイフは実家に帰して、子供を産んだ。こっちは車の中に半年近く寝てホームレス生活をしたり、週末はワイフの実家に帰って生まれたばかりの娘を見に行ったりした。ワイフの実家には本当に世話になった。

 

それから、拳銃、ライフル 射撃ツアーでブレイクした、ホームレスから5年後に海の見える高台に家を買った。

 

そんなのが、私めの人生の前半でした。

 

 

それから、ガンショップを買いとったり、銃の小売り、銃の輸出、輸入をしてオークションで世界中に売りさばいた。長女がUCを卒業してから、私の仕事を手伝ってくれ、仕事が楽になった。

 

 

 

そして、60歳の還暦が近ずいてきたので、知り合い達があんたはいろんな人生経験してるから、本を書いたらと言われて、当時人気のあった月刊誌GUNから進められて本を書くことになった。

月刊誌の社長に、本当は  サンフランシスコ最後のガンデーラー にしてくれといったのだが、 なんと本が出たら タフ だった。その本が中古で今でもグーグルのオークションで売っている。平均の値段が5千円くらいで最高は1万円くらい、いっている。

 

 

なんか、だらだら、自分のアメリカ人生を少し書いた、かなり、やりたい事をやった一部を書きました。

 

 

 

 

 

家の近くにタイヤが片方7個ついている大型トラックが50台くらい、止まっている。運転手に何やってるんだ?と聞いたら近くにあるUC病院のなんか、トラブルで荷物を運び出すんだ?と言っていた。