60歳の時、長年やってみたいと思っていたピアノを還暦の歳を堺に習い始めた。私めの先生は身長が1,80CMくらいある日本生まれの日本育ちのハーフの女の先生だった。彼女の父親はスイス人のピアノ演奏家で母親はパンナムのスチュアーデスをやっていたそうな。
そこで、私の住んでいるサンフランシスコから先生の家があるパラアルトまで毎週往復2時間かけて1時間のレッスンを取って、後はその復習を毎日家にあるピアノで最低1時間練習の日々が3年間続いた。ピアノの練習は一つの曲が終わると次に行く、けっこう大変だが、真面目にやっていたのでけっこう弾ける様になってきた。子供の練習とアダルトの練習は本が違うらしく、けっこう知っているポッピラーの曲もあった。
アダルトの本は一冊が1年かかるので3年やっていたので3冊やった。この先生は教え方がうまいので、生徒はもう取れないくらいいると言っていた。アダルトの生徒はほとんど1年くらいで辞めてしまうと言っていた。私め3年毎週先生のレッスンを取っていた。
それでもこの先生が米国に来た頃、なにもわからないので花屋でしばらく働いていた,、と言っていた。水を使う仕事なので手の皮膚がボロボロになったのよ、、なんて言っていたが、彼女にはピアノという技術があり、初めて彼女の家に行った頃は小さい縦型ピアノでレッスンをやっていたが、途中から日本へ帰国する家庭からベビーグランド ピアノをいただいた とかでピアノが大きくなった。
この頃はまだ私め仕事でハンテングの案内したり、射撃のインストラクターをやったり、メキシコのバハ カリフォルニアでキャンパーで毎年暮れになると行っていたので、ピアノの先生の家にレッスンに行く時、いろんなお土産を持っていった。先生 これバッファローの肉です。メキシコのタコと貝ですとか、うちのワイフの実家の庭に生っているレモン、グレープ フルーツ、カリフォルニアで採れる松茸など、あとなにがあったかな〜とにかくいろんな物を持って行ってあげて、先生をサプライズさせた。良い生徒だな。ハハハ。
ある時なにか忘れたが、差し入れを持って行って、先生のキッチンで包丁を使ったが、これが全然切れない。酷い代物でまるでバターナイフ、、、、先生このナイフ全然切れないな、トマトなんかどうやって切るの? ヱ、、気合で切ります。ホントかよ。
それらの包丁を家に持って帰り、砥石でビカビカに研いでやった。怖いくらいきれるわ〜〜と先生びっくり、
そうです、亭主がマメに料理をする家は、砥石の5−6個はあってナイフもいろんな食材に合わせて使うので、ナイフの数も多いし切れるのです。
その後、先生の友達の日本人の奥さんも、うちのも研いで、、といって3−4本ナイフを持ってきたので研いでやった。
それと、ハンターや釣りをやる人達は、獲った獲物をバラすので、みんな良いナイフを持っていて、うまく使ってます。
ある日、ピアノの先生が 拳銃を撃ってみたいわ ということになった。
わかりました。撃ち方を教えてあげます。彼女の友達の近所の仲良しの包丁を研いでやったオバちゃんと一緒に射撃場にやってきた。
まず最初はキックがあまりこない22口径10連発のオートマチックを1箱50発。次がリボルバー 回転式 38口径1箱50発(この銃は日本のお巡りさんが使っているのと同じ口径)。その後9MMオートマチック ハイこれは 映画のメル ギブソンのダイ・ハードで使っている銃ですよ。イタリア製のベレッタ拳銃を2マガジン。そして最後は、、、一昔前 クリント イーストウッドがまだ若い70年代の頃の映画、ダーテー ハリー シリーズ 強烈パワーがあり撃つとがつ〜〜んとインパクトのある、、、その頃最も強烈なキックだった44マグナムを先生と友達に1ラウンド 6発ずつ撃たせた。もう2人共最初から最後まで緊張の面持ち、真剣そのもの、顔が引きつっていたな。でも 2人共やり遂げた、達成感が充分あったのだろ〜。
後で先生から連絡があって、2人が人生でこんな興奮したことはなかったようで。帰ってから2人でワインを1本抜いて やった〜〜と言って、乾杯した、、先生が言うには、私達もう、、盛り上がったわよ〜〜〜と嬉しそうに言ってた。
ある日その先生に一度聞いてみた。アダルトのブック3の最後のページが、ベートーベンのムーンライト ソナタと有名な エリーゼ。
先生、エリーゼは日本では何歳くらいの子が弾くんですか? 7−8歳かな〜というのかと思ったら 先生 5歳くらいかな〜、、
じゃ〜2小節めのダンダンダン というのは何歳くらいですか、少し難しくなるので、、先生、7歳くらいかな〜だって、参ったな。
これが最後で、先生は日本へ帰ってしまった。私のピアノの練習もなぜか、緊張が解けたのか3年に及んだピアノレッスンも毎日の練習も終わってしまった。