12月30日にサンフランシスコでベトナム系と中国系のスーパーを3軒ばかり見て回ったが、小さいのはあったが、やはりデカイ大鯛をどっか〜んと買いたい。それが残念ながらなかった。つい2週間ほど前に行った時はデカイのが積んであったのに残念。
大きいイカが積んであったので買ってきた。正月元旦は娘の婿の家に呼ばれているので、イカの天ぷらでも作って持っていこうか、、とも考えたが正月にイカ天もなんかおかしいし、うちのワイフがチキンの照り焼きとか、お雑煮に入れる尾頭付きのエビなどを持っていく。上の娘は料理が趣味だから、ま〜アメリカにいてもいろんな日本料理を作る。
今年はまったく行動ができなかった。ジムに行って運動もできないどころか旅行にも行けない。リタイアーして、時間が有り余っているのに、今年は日本から東南アジア諸国から南米のコロンビア人に知り合いがいるので、ボゴタ、メデリン、カタルヘナあたりをまわって、ついでにエクアドル、できればガラパゴス諸島とか、チリからイースターアイランド、はたまたボリビアへ飛んで、レウニ湖、塩の乾いた幻想的な湖、、、などなど計画していたのにどこにも行けない、サンフランシスコでステイ ホーム。3月半ばに始まってあっという間に1年が経ってしまった。まったく何をしていたんだ。
毎朝ゆっくり起きてブランチを喰って犬の散歩、庭でチョロチョロ植木をいじって、遅〜い昼食を喰って夜も遅い夕食後はユーチューブを長いこと見て、、、もうなんでも自分の好みの動画が出てくるからついつい気がつけば朝の1時2時は当たり前、もういい加減馬鹿らしくなる。特に政治、経済、、考えてみれば韓国や中国がどうなろうが、日本の政府がどう対応仕様が、オレには関係がないのだから気にしてもしょうがない、、、と気づいてきた。日本国は力があるのだし、が〜〜んと一発やればできるのだが、日本政府はのらりくらりとアメリカまかせ、、、もうこういった問題は気にせず真剣に見るのは辞めにした。
そういったものばかり見てると本を読まなくなる。そこで久しぶりに本を買いに行く。サンフランシスコの紀伊国屋ブックストアー
で今回買ったのは 百田 尚樹の 錨を上げよ 全4巻。
彼の自伝的小説だが、これは面白かった一気に全4冊を読んだ。特に3巻めの北海道でのソ連国境の貝殻島でのウニの密漁の命がけの仕事で荒稼ぎ、喧嘩、女遍歴などなど、久しぶりにエキサイトした本を読んだ。
彼の小説と自分の人生経験をオーバーラップしてみていた。1969年オレはアラスカの夏は荒稼ぎができるという話を聞いて1人でグレイハウンドバスに乗ってシアトル経由で仕事を探しに行った。アラスカ専門の職安で2週間待って運良く仕事が取れてアラスカのコデアック島の鮭の缶詰工場でひと夏頑張った、約2ケ月半で食費から税金などすべてを引かれて1500ドルくらい残った。当時のレイトは1ドル360円。日本円で54万円だった。このアラスカへ行く1年前は日本にいて安月給で働いていた。その頃の日本は貧しく毎月貯金できるのが2000円くらいだった。ざっと計算したら1年前の日本の100倍稼いだ事になった。考えてみてくれ、これは50年も前の昔の話だ。当時54万円あれば1年間遊んで暮らせた。実際にアラスカでひと夏稼いで、南米など物価の安い国ヘ行き遊んでいる男たちもいた。アメリカはその頃は本当にいい時代だった。
それから、3年後の72年の学生最後の夏、今度はネバタ州の灼熱の大荒原で大陸横断鉄道のサウザーン パシフィック鉄道の線路補修工事を暑さに強いメキシカンと一緒に働いていた。真夏のラスベガスへ行ったことのある人は想像して見てください。あそこの暑さは半端ではない。そこでつるっぱしを振るって線路を作っていた。ここもいい金になった。当時サンフランシスコのレストランで働いていて1時間$1、80セントくらいだったが、ここでは1時間15ドル貰った。ジャパンタウンでカツ丼が一杯1ドルで喰えた時代だった。
そうして稼いだ金も学費と生活費ですべてが消えた。今になって考えてみて、アラスカで稼いだ金を持ってブラジルでも行って、ガールフレンドをなん人も作って、今日はマリア、明日はビオレッタ、それともグローリア、、、なんて馬鹿やっていて3〜4年遊んでから日本へ帰って就職、、、なんて人生もあったかも、、なんて考えて、さてどっちが良かったかな、、、未だに分からない ハハハ。
この1年サンフランシスコで犬と一緒の散歩、ニューデスカバーもあった。こんなところがここシスコにもあったのか、なんて事がけっこうあった。
近所の散歩道。
ゲイが集まっているカストロ地域、ここは28年間自宅から事務所まで毎日通った道、懐かしいので犬をよく連れて散歩する、約1時間10分かけて今年はすべてよく歩った。
そんな1年でした。
それでは皆さんハッピー ニューイヤー。