日本で、できないことをアメリカでやろう、と、誓った3人の若者。 | gozira hunterのブログ

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オレ達がアメリカに来たのは1967年から68年にかけての頃だった。3人とも金はない、英語はまったくできない、なんのコネもアメリカには無い連中だった。だが溢れるばかりの体力と好奇心と、行動力があった。3人とも同じ頃アメリカ船の片道切符を買って横浜の大桟橋からアメリカへと向かった。

 

 

まず言葉(英語)を覚えるためにアダルトスクールに行き、夜はレストランで働き生活の糧を得ることからスタートした。そして観光ビザから学生ビザに切り替えた。(当時はそれが簡単にできた)。それからアメリカ国籍の女と結婚して、永住権をとった。

上の写真は 田中 誠一 和太鼓を1968年に初めてアメリカで初め、今では世界中にその弟子3千人以上といわれ、日本の文化功労者として、天皇陛下から ”旭日双光章” を受けた。

 

日本では千葉商科大学卒、日本拳法部 練習が’厳しかったのか、喧嘩ばかりやっていたのか、歯がかけてほとんど無い。なんせバイトでソープランドの雑用係兼用心棒みたいな事をやっていたとか、インテリだが、ユーモアのある面白い男だ。彼の結婚した相手は、彼女がプロのフォトグラファーでアメリカから日本に来て写真を撮っていた頃、東京は山谷の貧民窟を取材するので、当時大学生でタフの彼がボデーガードとして雇われ、それが縁で結婚したそうだ。

 

 

次は私め高橋が、渡米した頃24歳、若かったな。パワーリフテング、カリフォルニア州2位になったり、サンドバックやスピードバックを毎日ドカスカ叩き込んでいた頃の写真。

 

日本では親父の会社倒産もあり、2歳年上の姉が、東京理科大学の数学専攻、、で真面目、、、まったく勉強をしないオレは、オレなりに先輩に日本大学の裏門入学のコネを教えてもらったり、ラグビーやってて群馬県で優勝したので、そのつてで大学にスポーツ入学もあっが、親父が大学で何を勉強するのかと、聞くから、ボクシングをやりたいと言うと、そんなの仕事しながら町のジムでやればいいじゃ〜ね〜か。そんな金はうちにはない、群馬大学は金がかからね〜からそこならいい、なんて言う。勉強しないのが受かるわけはね〜だろう。

就職しろ、俺がおめ〜にあったとこを探してやるからといって、東京は深川の木場の材木屋に放り込まれた。(親父と爺さんは材木屋だった)。

 

アメリカに来て最初はアダルトスクールへ行ったが、このレベルじゃ〜ビジネスするのは無理、そこで最低短大くらいは行って、一般教養課程くらい取らないと、新聞も読めない。そこで、最初の目的であったアラスカかカナダで材木の輸出会社をやりたいので、林学(Forestry)があった College of syskiyou へ行った。この小さなカレッジの日本人第2番目の卒業生となった。

しかし、材木関係は一切仕事をするチャンスはなかった。

 

 

サンフランシスコで1988年ガンショップを建物ごと買い取った頃44歳。High Bridge Arms Inc.を設立。2015年でリタイアーするまで27年間やったが、この店がサンフランシスコ最後のガンショップとなり、しかも日本人。テレビや新聞取材がたくさん来た。

 

 

 

 

 

射撃ツアーが盛んな頃。バブル経済の1980年代から90年にかけて、年間3,000人から4,000人くらいが射撃ツアーに参加していた。上の写真が春の卒業旅行、日本の女子大生グループが射撃ツアーに参加、バンバン撃っていた、日本人はみんな元気のいい頃だったな。

 

 

 

それから、月日は流れて元気の良かった青年達も今では爺さんとなり、身体もあっちこちが、故障だ。上の右の男は、これも凄い経歴の持ち主。残念ながら彼の若くてハンサムの写真は今ここには無いが、良い男だった。顔も性格も。

 

彼は元関西大学、応援団の親衛隊長。柔道3段、空手3段、押忍   玉城 邦夫。
 

 

典型的の食道楽、、アメリカで学生やりながら、プライムリブ ステーキ ハウスで働き、当時店の中にワゴンを出して、肉を切り分けお客さんにサーヴするのは、白人の仕事だった。日本人の学生のバイトクラスは皿洗いか、食事の後のテーブルを片付けたり、新しくセットする、バスボーイくらいの仕事だけだったが。彼はワゴンを出して肉をサーヴするまで行った。当然仲間の白人に嫌がらせをされたが、そいつを柔道で投げ飛ばしてから、堂々と店で肉を切った。だがそんなことに満足する関西商人ではない。30歳のときに小さいが気合の入った、プライムリブステーキレストランをオープン、ヘンリー8セ 。ちなみに皿もなにも、どこかでもらってきたのか、ボロボロだったが、気合で店は大繁盛。その後ダウンタウンに、でかいビルを買収、2001年の同時多発テロまでやった。彼には痛風があり、リタイアーは早かったが、もう日本人でプライムリブ ステーキハウスやる男はいないだろう。これはイギリスの伝統料理。

 

彼は日本のマンガにもなった。”ビーフステーキ 大統領”。

 

 

寿司が流行り始めた80年代。ラーメンが流行り出した最近。多くの日本人が、つぎつぎと店をオープンするが、だれもプライムリブには挑戦しない。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日の我が家のお料理。ポーク スペアーリブ。

 

スペアーリブ、サイズにもよるが約1時間半くらい弱火で煮てやらかくする

すこし乾かしてからBBQ ソースを塗って15分くらいオーブンに入れて出来上がり。簡単でうまいですよ。

 

明日から6月25日まで日本へ行きます。その間ブログはおやすみです。

 

御用の方は電話をください。日本 090−4665−8466.高橋。