うちのワイフは日系米国人、父親サイドから行くと4世、母親サイドから行くと3世になる。彼女の爺さんは1900年ハワイのコナ生まれ、同じく婆さんは1902年ハワイ生まれ。2人とも両親は1800年代後半に広島県からの移民で、日本移民史のフロンテアーである。
聞く話によると、広島県は海からすぐに山になり、土地が少なく、昔のことで子供が多いから、長男が後を継いで百姓をやると、次男からは兵隊になるか海外に移民するかが、気合の入った男のチョイスだったらしい。
そんなわけで、日系人達は最初はハワイ、それからカリフォルニア州のメインランドに移り住んで、広大の大地で農業に従事する人達が多かった。戦前のカリフォルニア州の野菜生産量は、なんと38%日系人が生産していた。
そんな簡単な日系人のヒストリーなんだが、オレも何かの縁で日本は群馬県の山から出てきた男と、広大な農業地帯で生まれ育った、ファーマーズ ドーダー(農家の娘とでも訳すか)一緒になったのだから、食習慣が違うわな。とにかく彼女は肉食なのだ。
朝はベーコン、又はソーセージ、又はハム、 エッグ、コーヒー、オレンジジュース、トースト、昼も肉のたっぷり入ったサンドイッチなど、で夜はチキン照り焼き、ステーキ、なんかの肉類が食卓にのぼる。水平線が見えないような農地で1日中働く肉体労働者だから、食事の量が違う。
1日3食とも肉料理だ。カントリーのスーパーにはほとんど、まともな魚は売ってない。あってもフローズンか、まったく新鮮な魚など売ってないが、都会のアジア系のスーパーなら魚はいろんなのが売っている。
うちのワイフは今でも料理を作る量が半端ではない。オレもよく食うのだが、さすがに最近は2人とも歳をくってきたので、量を減らすようにはしているのだが、、、、そしたら今度は出戻り娘が2人、これがまた料理が得意でうまいものを、どんどん作る。ま~~いいか、幸せな我が家の食卓、、HaHaHa,,,それもいいか。でも食いすぎに気おつけなければならない。
そんなわけで、オレが魚を釣ってきたり、つい3~4年前までは仲間と海に潜ってアワビを獲っていた。新鮮な魚も、いい加減の魚も、こじんまりして、きれいにパックされた魚は日本人マーケットで値段が高い、丸ごとの大小いろんな魚は中国系のスーパーに売っているので、面白い、安い、最近はよく買ってくる。
能書きが長くなってしまったが、上の画像は先々週の日曜に、テブロンの波打ち際の、岩の上に鰊が卵を産んだもので。岩が卵で染まっている。
採ってきて来て、塩漬けにしたもの、これで半年以上持つ。数の子昆布は、この混布の上についたものが、混布のうまみと数の子のうまみがミックスして、いい味を出し、人気がある。
テブロンの町のこんな近くで採集できる。今回は日曜日なのに誰もいなかった。長靴で獲れた。
カモメが集まっているところに、鰊の大群や引き潮時に岩の上に産み付けた卵を食いに来るから、子持ち昆布のシーズンがすぐにわかるが、数ケ月で終わってしまう。
つい最近まで、ソノマコーストの海に潜って30年物のアワビなどを獲っていた。これは記録的なサイズだった。
アメリカの海は、こんなでかいのが5~6メートル潜り、海藻ジャングルを掻き分けて海底にちかずくと、岩の割れ目に、ごそごそ張り付いている。この国アメリカは漁期と数の制限を厳しくしてるし、狩猟監視官が常に見張っているので、いつも大きなアワビがいるわけだな。あるからって根こそぎ獲ってしまえば、すぐになくなってしまう。アワビは成長が遅く、年間数センチ」きり成長しない。
友達が、またもや鰊の大群第2波が押し寄せてきたので、網を打って大漁節、、またバケツにいっぱいもらってきた。前のブログと同じように、上の画像のようにスモーク100匹、粕漬け100匹、ついでにビーフもスモークして、友達を呼んで取りに来いよ。かなりあげたが、残りはフリーザーに入れた。裏庭はいつも煙が漂っている、スモークハウスになってしまった。
うちのワイフが、、また魚~~、、、そうです。いつも魚があり、魚料理は、あっしめの役割というか、うまいものを食いたければ、自分で作るのが一番だと思って、よく魚料理をしてるから、肉食家庭で育ったワイフが、、また さかな~~などとほざく。彼女の友達の日本人のオバサンなんか、オレが時々昔から新鮮な魚をあげているので、、、マギー(ワイフの名前マーガレット)は羨ましいわ、、なんて言われているが、オレにたいし感謝の気持ちなんかないね。アワビなんて結婚したころから毎年潜って取ってるから、日本人なら高級食材、なのに、まったく食ってやるよ、という態度。 BBQステーキなどは、にこやかな顔して食っているが。
ま~国際結婚とは、そんなギャップもあるんだろうな。
白猫ティンコ、はマサージをしてくれる。両前足を使ってアップダウン、、なぜかこの猫はオレになついて、ソファーに添わっていると、いつの間にやらオレに隣にきて膝の上に乗りマサージを数分やってくれる。前のブログに書いた病気のマーフィーは、まだヨタヨタと生きている。