アメリカでレストランをオープンしますか ? | gozira hunterのブログ

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最近の新聞の切り抜き。ここサンフランシスコのレストラン情報が載っていた。

 

新しく店をオープンするのと、辞めていく、その統計が載っていた。

 

 

 

 

2017年が上のマークだ。オレンジ色がビジネス不振(たぶん)閉店その数350店。新たに夢と希望とアイデアを持ってオープンした店が277軒。締めた店の方が75軒合計して多かった。

 

 

 

おもしろい統計が上の成長していいビジネスをやっているもの。トップが日本食、寿司、コリアンも頑張っている。

しかし辞める店も多い。今や寿司と言っても純粋の日本人の職人は少なく、安い寿司屋も日本食屋も、コリアンやチャイニーズが多いから、いい加減の料理ではいい客は付かない。ジャパンタウンの寿司屋でもほとんどメキシカンが握っている、、が、、所詮は料理だから、寿司もすぐにだれでも握れるようには、なるだろうが、やはり本物ではないし、ネタも悪ければ、いい客は減っていく、そして辞めていく。その次には誰かが権利を買ってまた始めるパーターンだろう。権利とて10万ドル以下など小さな店でも少ないないだろうから、最初は大変だが、歳が若ければ頑張れる。

 

 

 

 

 

おもしろいのは過去には最もアメリカではポピュラーなレストランだった、イタリアン、フレンチ レストランが辞めていく。アメリカの金持ちが以前はフレンチレストランで、優雅な食事をしていただろうに、今ではそういうのは歳よりか少数派になったのだろう。

高級寿司屋のお任せ料理で1人$200~$300ドルなんていう方向に向かっているようだ。2人で食事して500ドル以上、、こんなのが増えている、時代は変わるもんだな。それにアメリカのトラデーショナルである、サンウィッチやホットドッグの店が辞めている。アジア系では唯一ベトナムレストランが減っているが、たぶん店が多すぎるのだろう。PHOも食いあきてきたんだろう。

 

サンフランシスコは場所によっても、レストランのオープン、クローズの差がある。オレの所有しているミッション地区の建物はガンショップを30年間やったが、その後辞めてレントしたが、この地域は30年前は危険なミッション地区なんて言われて、住民はたぶん80%くらいがメキシカンと中米、フィリピーノなどの貧困層の多くガ住んでいる地帯だった。日本の観光案内のサンフランシスコ地図にも、この辺りは危険ですから行かないでください」、、なんて失礼な事が書いてあった。ま~悪く言えばそういう事になるが、よく言えば、ごく庶民的な人達の集まり地区、、という事になる。たまには銃声の音も遠くに近くに聞こえたが、我関知せず、、の感じで30年商売をやっていたら、いつも間にやらミドルクラスの白人種が周りに住み始めて、すっかりユニークな地域になりつつある。不動産の値上がりも激しく、26万ドルで買った30年前の建物がなんと、驚くなかれ現在は10倍に飛び上がった。さ~~て売るか、、なんて今計画中。

 

なんか自分の調子のいい話をしてしまったが、過去30数年間、オレの周りの友達たちの日本人が、レストランをオープンした。その数20数人はいただろう。70年代のアメリカでの成功者はレストランのオーナーが多かった。特にその頃、ロッキー青木の紅花チエーンの大成功。続々と元気のいい日本人の若者がレストランビジネスに乗り出していった。多くの男達は日本ではまったくレストランの経験がなくても、かなりの数の男達が成功した。タフの男達が多かったが、けっこう働きすぎて、足、膝、腰などを歳とともに悪くしていった。職業病だ。

 

オレ自身も前のブログに書いたが、約3年間学校に行っていたときと、卒業して自分のビジネスを始めたころ、仕事がこないので、レストランで働いていたが、思ったな、、オレはこの仕事だけは絶対にやりたくない、、と。レストランは金を払って食いに行くところだ。働くところではないと。

なんせオーナーもクックも朝9時頃には店に入り、まず昼の仕込み、11時ころには店を開け、2時まで、一休みしてから4時頃今度は夜の仕込み、6時に始まって9時頃までオープン、その後かたずけやなんやら10時近くまで仕事して、家に帰るのはもう12時近い。

 

さ~それでもアメリカでレストランビジネスをやって、ひと財産つくりますか。しかし、この仕事が根っから好きなら充分頑張れる。