高いアメリカの医療費、、値切れますよ。 | gozira hunterのブログ

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アメリカにきて、もうずいぶん長い間住んでいるが、手術を2回した。一度めは鼻で蓄膿手術、2回目は胆嚢摘出の手術をした。最初の時はワイフが保険の会社で働いていたのと、数日で退院できたので、ほとんど入院費を払った覚えもなかった。たぶんワイフがやってくれたんだろう。


問題は2回目の時、なんせ内臓の一部を取られてしまったので、確か2週間近く入院したような記憶がある。退院後も、2ケ月間、車の運転もできなかった。


胆嚢手術は胆石が小さいうちは、腹に小さい穴を3つ開けて、内視鏡を見ながら簡単に取れるらしいが、この病気は痛みがず~~んとくると、、あれ、、なにか変なものを食ったかな? くらいに思って、安静して半日もソファーに寝ていると、暴れる石が収まるのか、痛みがなくなる、、そんなのが半年に1度くらいの割できた。そして数年たった、そして最後のアッタクは強烈で、食ったものはすべて吐き出して、身体はガタガタ震えて、寒さが襲ってくる。しってんばっとう、しかも1月元旦。翌朝病院に行き、そのまま入院。


手術室に運ばれて、口にマスクのようなものをあてがわれて、ハイ 息を吸って、、、そのまま意識を失う。

気が付けば手術は終わっていた。後から手術をしたドクターがやってきて、あなたの胆嚢は、胆石がでかくなりすぎて、胆道が腐っていたので、摘出しました、と、言っていた。後で自分の腹を見てみると、小さい穴が3個と胸とへその真ん中くらいを、上から下に斜めに20センチくらいズッバ~~と切られていた。


入院中は痛い苦しい日が続く。アイビーの管が最初は両腕、後に片腕、、栄養分やモルヒネの痛み止めのバッグが頭上にぶら下がっている。ドクターが痛くなったら、モルヒネを1回だけボタンを押してくださいという。苦しいと変な夢ばかり見る。モザイクの難しい計算をしているが、問題が解けない。


しかしモルフィン(英語ではこういう発音をする)これをドクター違反をして、1回でなく2回シューシューとダブルでやると、、もう気分は爽快、痛みは消えて、なぜか黄色い小さな花の、お花畑がず~~んと広野一面に広がっているではないか。ハハハ、、これがドラッグだな、、と思った。退院してから、モルヒネが切れて、、数週間、身体か、精神的か、どうかよくわからないが、おかしかったな。


退院後しばらくして、請求書がきた。その時1996年、この時点で確か4万ドル近く来た。しかもいい加減の安い保険に入っていたので、今回の手術はまったく、この保険が適用されないという。


これには参った。そこで請求書を持って病院の事務の係りのところに行くと、フィリッピン系のおばさんがいて、請求書を見せて、オレは金がないのでこんなには払えない、、何とかしてくれ、と言ったら、、その場で計算してくれ、半額くらいになった。あとの残金も毎月のペイメントにしてもらい、とりあえずカードで2千ドル払った。


最後の残りの数千ドルを、とぼけて払わなかったら、なんと病院が雇っているコレクションエージェンシー(借金取りたて会社)からしつこく毎日数10回くらい、アラブアクセントの英語で電話が会社にかかってくる。最後はスモールクレイムコート(裁判所)に訴える、、となり、、全額払った。


そして、5-6年前も、なんかよくわからないが、夜中に高熱が出て、倒れて失神、、、救急車で運ばれて、約1週間入院。なんかの感染病らしかった。この時、病院に運ばれて、ドクターがチェックする、、、まず聞かれたのが、今日は何日デスカ、、、冗談に、、1941年12月7日、、パールハーバー奇襲の日、、と冗談を言おうと思ったが、ドクター2人が真剣な顔をして、じっとオレの顔を覗き込んでいるので、やめといた。後から聞いたら、、ここでおかしなことを言ったら、集中治療室に入れられるか、一般の病室に行くかのチェックをするのだ。馬鹿言ってたら集中治療室に入れられてしまったな。金も倍くらいかかったろう。


この時は保険が効いたが、それでも1万ドルくらい来たので、またもや値段の交渉で半分くらいにしてもらった。


オレの知り合いの寿司屋の親父も大病して、かなりの金を請求されたが、交渉してダダ同然にしてもらったといっていた。この時は過去3年くらいの自分の収入などの、いろんな税金申告書類など、すべての書類を提出させられたと言っていた。実際、彼の寿司屋は儲かっていない寿司屋で、その後店を売ってしまった。


そうです。アメリカに住んでいる皆さん。アメリカの病院は値切れます、頑張って値切ってください。お金をたくさんセーブできます。貧乏人の演技も今からしっかり身につけてくださいよ。


ちなみに、私のつかった病院は、カイザー と UC サンフランシスコ病院でした。